Something To Talk About

bitchなどとは違ってもともと私はそんなに映画を見る漢ではないのだけど、たまには見たいなという衝動に駆られることもあり、というわけで、たまには見る。で見ました。ヒュー・グラント主演の「About A Boy」です(ちなみにその動機は、Badly Drawn Boy が手掛けてるサントラがいいから、という非常に非映画的なもの)。「それ1ヶ月以上前から公開されてるぞこのくされまんこ野郎」という指摘は非常に当を得ており、それに対する私の言い訳は「だって俺が見たのもちょうど1ヶ月ぐらい前だもーん」である。

これは一応日記である。日記というのはその日、百歩譲ったとしてもその数日の間起こったことを書き記すものであり、1ヶ月前のことをだらだら言ってるのは全くもっとその趣旨というか定義そのものに反してると言わざるを得ない。では私は「日記」というものの基本的なコンセプトすら理解できない、救いようのない白痴なのか。否である。いや、反論はあるかもしれんが、まあとりあえず白痴じゃないっつうことにしといてくれ。へこむから。

だからね、映画を見たのは確かに1ヶ月前なんだけど、つい先日Nick Hornbyの書いた原作を読んだんですよ。だから別にこれも日記として成り立ってるわけなんですよ。最初からそれ言っとけばよかったね、ごめん。まあ一応言っとくと、わざわざ原作をAmazonで買うぐらいだから(しかも私の場合もとの、英語のやつだから1300円ぐらい…日本における洋書の犯罪的な価格設定はどうにかならぬものだろうか)映画の方は非常に面白かったわけで、お勧め。で原作の方も、まあ日本語訳はどうか知らんけど、それに勝るとも劣らぬ面白さです。

あらすじを説明すると、って面倒くさいな。まじで面倒くさいな。自分でネットで調べてくれ。ってのはだめ?だめか。ヒッピー女に育てられたいじめられっこの12歳ぐらいのガキがいて、親父の印税でのほほんと暮らしてる、クールでトレンディな生活を送る30代男がいて、その二人が出会って、ガキはガキ社会での処世術を少し学び、30代男は大人として少し成長するという話。いいだろ、これで。あ、そうそう、映画の方ではなかったけど、原作ではガキが恋する女の子が大のニルヴァーナ・フリークで、それが結構話の中で大きなウェイトを占めてます。

で思ったのだが、ガキがなぜいじめられてるかというと、完全にヒッピー母のせいなのである。ヒッピーであるからには、当然一般人とは違う考え方/生き方をしており、そんな母に育てられたからには、ガキの方も一般人ガキとは当然違う。我々非ガキ人間の価値観からすれば、それはよいことである。ほかの人と違って何が悪い、ユニークであるのは素晴らしいことじゃないかと。でもガキ社会で通用するか、それ?しないだろ。つうか下手したら俺も12歳だったらいじめてたかもしれん、そのガキを。

いやね、そりゃそのガキが恋するニルヴァーナ好きの女の子のような強い人間だったら問題はないよ?でも大半のガキは、否、大半の人間はそこまで強くないのであって、それを要求するのは酷というもの。そりゃ何もかも周りと同じってのはさすがにちょっと「死ね」と思うが、小中学生のガキが「みんなが○○だから」の様なことをほざいたら、それはやはり聞く耳を持つべきなのである。「人と違うのはいいこと」などと理想論を言うのは我々の立場からすれば簡単だが、ガキにとってはそれが命取りになるかもしれないのだ。

というようなことを思わせるような映画/本でありましたとさ。私もガキができたら音楽好きに育てたいと思っているが、もしそいつが「ほかのみんなが聴いてるから」という理由で、未来のB’z、未来のモーニング娘。を聴くようになっても、あまり目くじらを立てないようにしたい。三上寛を好きなあまり、授業中に「静かさや/ちんぽ染みいる/蝉の声」とつい呟いてしまっていじめられるよりは、そっちの方が遙かに幸せだと思うから。

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