影の伝説


発売日
定価
メーカー
ジャンル

1986年4月18日
4,900円(税無)
タイトー
雇われ忍者アクション

 ゲームの内容とゲーム進行

古い割にかっこいい
主人公の忍者・影は、捕らわれた姫を救出するため、地を駆け、水に潜り、城壁を飛び回り、挙げ句に城に潜入して姫を助け出すのだが、
その姫の圧倒的さらわれ易さの前に、為す術もなく立ちすくした後に、ああまたかよ的倦怠感と、ちょっとのワクワク感ないまぜ状態で、
さっきと同じ行動を繰り返し、さらわれちゃあ取り返し、またさらわれるという、雇われ忍者体感ゲーム。
プレイヤーは影の武器である剣と手裏剣 、そしてこのゲームの印象を鮮明なものとする驚異的ジャンプ力 をつかって各面をクリアしてゆく。先ほど挙げたように、森→城の堀→城郭→城内→森・・・・・・これを延々繰り返してゆく。
また、このゲームは四季の概念が導入され、森~城内までが一つの季節として設定されている。春夏秋冬すべて姫を助け出したら、 一応のエンディングのような字の羅列が飛び出すのだが、そのあと「HOWEVER・・・・・・・」と表示され、また春に戻るのである。 一説によると、この春夏秋冬を5回繰り返すと真のエンディングが現れるらしい・・・・・。姫はその間20回さらわれる。
 ゲームの特徴

ジャンプ力。これだろう。一画面をはみ出してしまうほどの跳躍で、つい調子に乗って斜めジャンプしながら手裏剣をばらまく。
これがおおよそのファーストインプレッションでの楽しみ方である(これでは攻略で話にならんことを後に思い知る)。
また、アーケード移植作らしく、基本的に即死ゲーである点。影は玉を取ることで2段階にパワーアップするのだが、 玉を取ってないノーマル段階では、忍者といえど無力である。まあ、常に即死の危険がつきまとうのが魅力ではあるが。
そのほかにも、標準の武器である手裏剣と忍者刀、そして赤いマーク(正式名称しらん)を取ったときに使える八方手裏剣や分身の術、そして、春のステージでたまーに画面上にあらわれる忍法念仏の術などなど、忍者プレイが楽しめるところもいい。
 ゲームの攻略

クソ女
1.武器を選択せよ!!

これはいろいろ意見があろうが色々試した結果、フィールドによって異なると思う。森と城内では手裏剣、城の堀と城郭は剣。これがよかろう。まず剣について。城の堀では、水に潜って上のザコ忍を突き刺す。ザコ忍が水中で近寄ってきたら避ける。これでまず死なない。城郭は、ひたすら剣を回しながらジャンプ。これがいいと思う。ここで剣の、手裏剣をはじくという利点が活きる。てゆーかこれだけ。そもそもタイミングのずれのせいで、この城郭でやられるのが意外にも一番多いように感じる。しかし最大の問題は、手裏剣パートである。
手裏剣パートで最も怖いのはザコ忍である。特に赤ザコ忍の投げ玉。これはしゃがみで避けられない。即死割合も一番これが多くなる。次に、青ザコ忍の「デアイガシラ手裏剣」。これは、プレイヤーの進行方向からいきなり青ザコ忍が出てきて、そいつがいきなり手裏剣を投げてきて即死、って感じである。
手裏剣パートでは、進行方向に保険として手裏剣を投げながら移動、これがいいだろう。
2.ジャンプを捨てよ!!
城郭以外では、基本的にジャンプしないのがいい。確かにジャンプは楽しい。「ジャンプしない影なんてただの足早いオヤジだ」なんていう意見もあるだろう。しかし、攻略を考えるならジャンプしないのである。
このゲームのジャンプは凄く高く飛べるのだが、ゲームでよくある「ジャンプ中の動作」ができない。空中で体をウネウネさせる、人間離れしたアレである。影は一度飛んだら着地するまで動かせないのである。コンピューターもえげつないもので、着地のタイミングに合わせて手裏剣ねらい打ち→即死コースもある。だから飛ばないのが一番いい。
3.命は大事に!!
以上書いたように、死にまくる。到底最初の2機じゃあ全然足らない。よって増やさなけりゃならんのだが、このゲームは50,000点で1機増える。これを使うしかない。場所はスタート地点。ゲーム開始と同時に右端に移動、保険の意味で一定間隔で左に手裏剣を一発ずつ撃ちながら右に手裏剣連打。手裏剣の最大画面表示数は2発なので、一発左に撃ちながら右連打、これで当分死なない。画面外からの手裏剣は無いので、右は封殺でき、左からの手裏剣にも距離があるので十分対処できる。
そしてしばらく撃っていると、上に灰色のマークか赤色のマークが飛んでくるだろう。灰色は10,000点で、赤色は忍法が使える。忍法は八方手裏剣か分身の術。最高のパターンは、まず分身の術を取って無敵になる。それから灰色マークで点数を増やしつつ、適度に分身の術を取る。そうしていると敵の数も増え、攻撃もシビアになるだろう。無敵なのでこいつらもきちんと殺す。そうしたらそのうちにパワーアップの玉が取れ保険ができる。
このゲームは同じ所にずっと居続けると、敵の数と攻撃が増えるようだ。だから分身の術が切れそうになったら、たとえそこに灰色マークが見えていても一目散に逃げるべきだ。逃げたら数と攻撃も普通に戻るので、また右端で同じ事を繰り返し。俺はこれで20機まで増やした。けど、それでも5週は無理だった・・・・。
ちなみに裏ワザで、「コントローラ1のスタート、セレクト、A、B、コントローラ2のA、Bを押しながら電源を入れ、タイトル画面がスクロールする前にコントローラ1のA、コントローラ2のBの各ボタンを1回押してスタートすると影が10人になる。」っちゅうのがある。しかしこれを成功した例しがない。押しながら電源なんて凄く曖昧、裏ワザ自体にもかなり無理があるようです。
 総評

未だ真のエンディングを見ていない。もう見る気もない。デアイガシラ手裏剣をくらったときの、まさしく「殺られた」感じ、またそれを避けて「生きた」心地、ここに恍惚感は感じるが、「姫救出」に恍惚感は感じない。

ダンサーインザダーク ★☆☆☆☆

近視のセルマは、日々の労働での稼ぎと趣味であるミュージカルに生き甲斐を感じていた。金を貯めて自分の息子ジーンに遺伝性の近視手術を受けさせるためである。同時にミュージカルのリズムは生きる術であり、周りを巻き込んで踊り狂う。ところがそのお金に関する事件が起こる。
ホモジェニックなビョーク主演です。まずこの配役はこの映画にしてアリだと思う。この映画は決してミュージカル映画ではなく「主人公の趣味がたまたまミュージカルだった」だけであり、惚れた漢が極道だったという極妻となんらかわらない。なので自分のように「アンチミュージカル」のポジションの方々でもひとまず鑑賞することはできる、普通の映画だ。そこでこのビョークをあてがうというのが、彼女の声はそりゃもうホモジェニックでありガンガンに響くし、歌うときの至福の表情はいい。
ただ前述したように俺はミュージカルが大嫌いなわけで、もちろんこの映画におけるミュージカルシーンでは新聞を読んで過ごしたのだが、だってさぁ、ストーリーの途中でそれまでの人間関係や背景なぞ関係なしに全員一致で変な歌と踊りを展開してしまうなんて、あんなもん見てて気持ちが悪くなってくる。正直、ミュージカルが全開に好きだとか言ってしまう人は敵かもしれん。
↑はミュージカル全般に対する自分の思いであり、この映画にはなんら影響しない。まあそらいい気がしないのは確かであるが。それよりも問題ありありなのがこの映画の人物描写と、納得いかないストーリーである。ある事件がもとでセルマは犯罪者になるのだが、それからの彼女の息子に対する強烈な偏屈っぷりは全然わからない。もちろん客観的に見たセルマは、彼女の自己犠牲的所業に自分で納得しそれを受け入れたのだから、客体視した見せ方ならばある程度理解できたかもしれん。しかしこの見せ方というのがリアルタイム撮影とでも言おうか、セルマの表情を真に迫って映し出してるのでそうそう客観的に見ることもできない。
要するにセルマの言動にはいちいち納得がいかないし、そもそもそういうセルマに置いてしまう周りの状況、ストーリーの進み具合がクソだった。すべての元である事件にしたって全然理解できない。あれを理解しろ、理解しなきゃ感受性の薄っぺらな呆け者だと言われようがなんだろうが、俺は理解できない。
ネタバレになるが、たとえば自分の子供が間違いなく失明する危険があり、それにかかる手術の金を巡って殺人者になってしまったとしたら、セルマになるかもしれん。ここは理解できるし、考えようによっては納得もできる。ただしこの状況を打開する策はいくらでもあるわけで、やっぱりストーリーは理不尽。冬木よりも理不尽。さらに映画のような娯楽ぐらいは、こんな神妙にならんでもファンタジックに描いてもよろしいのではないかと。こういうリアリティの追求の形は、物語にされると相当イヤだ。
というわけで、映画としてダメとかではなく俺に合うタイプの映画ではなかったと。意味ある★1です。

マルコビッチの穴 ★★★★☆

うだつのあがらぬ人形操師クレイグは、自分の才を認めぬ現実に辟易していた。その妻ロッテも覇気のない暮らしに辟易していた。クレイグがしょうがなしに働くことになったある会社はビルの7と1/2階にある。そこで彼は、ジョン・マルコビッチのあたまの中に通じる扉を発見する。
まず「穴」の設定が面白い。15分間マルコビッチの中に入り彼の視点で見る。しかしこちらの声は届かない。その後高速道路の脇に突然降ってくる。それもその対象が、日本で言えば笠智衆のような名脇役であるジョン・マルコビッチという微妙な人気者なので、変身してもとくに豪華であるとかそういうのがない。
これは変身願望ではなく、まさしく後々クレイグがやってしまったようなマルコビッチという新しい乗り物に乗った喜び、そこから見た視界の広がりがくれる新しい発想、ロッテにしたら自分が同性愛だと気付かせてくれた新発見の喜び、これがマルコビッチの効用ではないだろうか。
そしてマルコビッチがマルコビッチに入った瞬間、観たものが凄かった。すべてがマルコビッチで帰結している世界。爆笑だった。同時に滑稽だった。そしてこのあたりから、この映画自体をどういう形で終わらせるのだろうか?そもそも穴の正体というか、理屈を解明してしまうのだろうか?という考えが起こってきたんだけど、結局なんだかへんてこな理屈を付けて正体を現してしまった。正直このへんで冷めました。
こういうよくわかんないのはよくわかんないまま、置いてけぼりに置いていくという終わり方もアリだったんじゃなかろうか。一切のことを気にせずに気持ち入って見れたのも途中までだし、いやもちろん、じゃあどういう終わり方があるのかと言われると正直わかりませんが穴の説明はいらない。
是非一度見るといいです。おもろいと思います。

60セカンズ ★★★☆☆

かつての凄い車泥棒として有名な○○、その彼の弟がギャングに拉致された。取り返す条件は、24時間で50台の車を集めてギャングに渡すこと。○○は弟を救うため、足を洗ったかつての相棒どもを集結させ、再び車泥棒をやることになった。
禿のニコラスけいじ主演。全体の雰囲気はリービングラスベガス寄りだけども、内容はアクション映画。全体を半分に割って前半と後半がかなり雰囲気が違う。前半は、ギャングとの交渉や仲間集め、そして実際の車泥棒と、淡々と進んでいく。意外に車泥棒のシーンがあっさりしてて、それはいいのかと思うほど淡泊だ。
このまま淡々と進行して、この流れで最後までいくのかと思ってたら後半のカーチェイスで一気に暴れ出した。カーチェイス自体はもうハリウッドのアクション映画では当たり前の見せ場であり、最早見る側にとってはどうでもいいシーンになりがち、どっちかといえば制作者側の「単純に、作りたいんだよお」という自慰行為になりがちなシーンであるから、はっきりいってしんどい。普通はしんどいんだが、この映画のカーチェイスはなぜかおもしろかった。
これは前半があまりにも淡々と進んだため、意外に(もしや狙ってか)後半の、この映画唯一の長~い見せ場、盛り上がりどころがヒートアップした、しかもそのカーチェイスは特にこうギミックのような色もんを随所に配置するのでなく、カーのチェイスを存分に堪能できるようになんかよくしらんが格好のいい車を走らせるという、そこはよかったと思う。
かといって、これが一生もんの心に残る映画になるかといえばそういうことは絶対なく、良くも悪くも一時的な享楽を満たすハリウッドの一級アクションであることは違うことない。なので可もなく不可もなし、★3つです。

MONDAY ★★★★★

月曜日、男は起きるとホテルの一室にいた。なぜそこにいるのか、まったく思い出せない。タバコを取ろうとすると清め塩が。そういえば葬式に行ったのだった。そうして身の回りの物から記憶をたどるうちに、大変なことがわかってしまった。
まず全体を見た感じで久しぶりに楽しめる作品を見た気がした。自分自身が酔っぱらうと寝てしまう質なのでわからんが、悪酔いする人間が限度を超した瞬間、彼はもう感覚のみで行動するしかなく、時に大胆、よくわからん正義感のようなものを振りかざす。それがスーパーデフォルメされている。
それとこれは後半から特にそうなんだが、鉄砲なんてのは格好悪い武器だ。あんなもの酔っぱらいでさえともすればこの映画では神になった瞬間があるのだから、しかも一度捨て去ってもなおそういう武器に依ってくる他者、味気ない一瞬の物事を突きつける他者に対峙して、結局は鉄砲に依った方がいいのだよという認識を得ながらも、ラストでは取るのか、取らざるのか、その選択を突きつける、いや人間ならばあんな野蛮な武器は放棄するということに本来なら賛同するはずで、ヤツが持ってるからワシも持つのかよ?ええ?と圧倒的に問うてくる、突き放した終わり方がいいと思う。
しかしその鉄砲によって緊迫感が出るのも事実。銃口を突きつけあい、どちらが撃つのか、撃たざるのか、その駆け引きなんかは映画でよくあるシーンだ。この映画は後半でそういう緊迫感のある画と、前半ではダンス音楽に乗った奇妙な画と、なんだか変な感じなんである。変だけど面白い。絶対ありえない話であるが、それだけにデフォルメされた連なりは映画という娯楽として正統派だと思うし、それゆえ楽しめるのではと思います。
あと音楽がかっこいい。

パッチ・アダムス ★★★★★

自殺未遂で精神病院に入ったアダムス。そこで出会った人々により、彼は生きがいを見つける。それは医者になって患者の生を高めること。しかしそこは、画一性を保持する病院側との壁があった。
いい意味で凄くハリウッド的で、よくできた脚本の上に「こうすればいい映画になる」という方法論の見え見え具合、音楽の使い方、話の持っていきかたなど、見終わってすぐ感じたことが、これは感動的な映画の種類に入ると思うのだが、『よくできてるな』。
まず主演のロビンウィリアムスが過去に「ガープの世界」「レナードの朝」など大きく見れば同じような映画に主演してて実に好演、アメリカン感動にロビンありき、のようなことができてて、この主演というのは直球勝負のそれも160キロの直球で、手元からリリースした瞬間にその先が見えているようなものだ。
よくできた脚本と書いたが、これは実話を元にしているらしい。もちろん脚色はあるだろうけれども、この劇中にアダムスがやっている方法というのが、種類でいえば自分がやるようなことと真逆のことだと思われ、目指す部分は少なからず同じようなことかもしれないが、実際アダムスのような方法を取るのは自分には難しい。現実に自分の身の回りでやられたら、多分引く種類の人間だ。わしは。
にしても、医者としてこういう突き詰めかたは一つとしてアリだと思う。アクションが多分にアメリカナイズドされてるけど、死を伸ばすよりも残された生を満喫させる、また形式よりも心の問題、これは日本で言われている偏差値教育の問題とも少しリンクしたことじゃなかろうか。
しかしここで気を付けるべきは、アダムスが天才、それも「遊んでてもテストはできる」というこれまた典型的な漫画のような天才、おそらく現実でも少しはそうだったんだろうという点だ。仮にアダムスがただのアホたれならばこの話は大法螺ふきのバカチンの戯言として処理されている。そういう意味でアダムスは恵まれている。アダムスには、そうした自分の『個性』を発揮するべき資格があったとも言える。
翻って日本の偏差値教育に対する『個性を伸ばそう』のスローガンはこの映画で崩される。凡夫の個性を伸ばそうとしたところで凡夫は凡夫、どうしようもない。偏差値の画一化よりも個性の画一化の方が圧倒的に恐ろしい気がする。
映画に戻ろう。このように本作はヒューマンドラマの王道を突き進み、万全の体制で臨んでいるので一つの完成されたドラマとして見ごたえがあるし、関心した出来栄えだと思う。感動に付き物のくささもロビンウィリアムスという一級の演者により見事に漂っていない。これは凄いことだと思う。ハリウッドの歴史を感じる一本だ。と同時に、感動に付き物のあの安っぽい音楽をどうにかしてほしい。あれはハリウッドの歴史の汚物だ。

PARTY7 ★★★☆☆

組の金を持ち逃げしたチンピラ三木。人里離れた怪しげなホテルに身を隠していると、次から次に変な奴らがやってくる。一方で、ホテルには覗きのための隠し部屋があり、覗きマニアのオキタとキャプテン・バナナがそこから部屋の様子を覗いていた。
正直笑えなかった。
まず、ごめんなさい。感覚がダサくてごめんなさい。スタイリッシュじゃなくてごめんなさい。オキタとバナナの掛け合いがなんだか全然ハマッてなくてぎこちねぇなこの野郎と思ってごめんなさい。ハイテンションはいい味だしてるけど、こうワンパターンのハイテンションが続くとクドくてイタイよボケ、と心の中で思ってごめんなさい。
鮫肌男と桃尻女の感想を読んでもらえばわかるが、自分はこの監督さんの撮る映画のタイプは好きな方だ。もっと言えばタランティーノの映画が絶対的に好きだ。
映画の構成として、導入部は初見ではわからない思わせぶりなところ、それを利用したラストにかかる時間ずらし、そのラストまでの物語が基本的に”カスの論理のぶつけ合い”で連なってるところなんか、伝統的タランティーノ映画を踏襲してて基本の部分は凄くいい。こういう作りが自然にできるというのがまず素晴らしいと思う。
それを踏まえて、これは狙ってそうしてるのかもしれんがまず話に骨がないというのが全然ダメだった。骨太の話の中にああいうちょっとしたユーモアが埋め込まれているというのが許容範囲で、ああも敢然と”はい「笑い」ですどうぞ。はい、笑ってね。笑わなきゃスタイリッシュじゃないからね”という青春のメッセージ全開のシーンがてんこ盛りでは耐えきれない。
うーむ。あとどうしても、鮫肌の二番煎じである感は拭えないよな。鮫肌の感想でも次回作が楽しみ、のようなことを書いたがまんまで出てくるとは思わんかった。我集院と洋八のキャラはまんまだし、キャプテンバナナは田抜よりも全然いけてないし、正直あの原田芳雄の振る舞いはおそらくまだキャプテンバナナになり切れてない。
あとはそう脇役がくどい。ズラのボーイはもう最低だ。くどいんだよおめぇはよと叫びたい。こうなると肝心のスピード感もまったく感じられず「どうでもいい面白い話」がただのどうでもいい話となってしまう。
なんだろうな、やっぱこの監督さんはこんなコメディー調の変化球を投げることなんかせずに、タランティーノが作り出した方法に乗っ取って、+彼の笑いの要素を加味したおもしろストーリーをいくらでも作れると思うのです。事実それが鮫肌のおもしろさだとこの映画を観て反面的に思ってしまう。
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以上はこの現代においてスタイリッシュではない私の主観であり、仮にこの映画を観て、とても面白かった、ずっと笑えた、何遍でも何遍でも観たいというあなたはスタイリッシュであり、正解の人です。笑う犬の冒険等を見てそのスタイリッシュっぷりに磨きをかけてください。

燃える戦場 ★★★☆☆

まだ日本軍と連合軍が互角の戦いをしてた頃の太平洋決戦。連合軍は日本軍の通信施設破壊のため数名の部隊を送り込んだ。しかしイギリス兵のなかに一人アメリカ兵がいる、その一人が日本語を話せるという部隊はまったく統率がとれていなかった。
一応ドラマではあるけども、ほんとに一応程度のもので、別に特筆すべきことはない。そこそこおもろい。登場人物のキャラづけが典型的なもので、まさしく巧みなプロットに基づいた旧来からの映画手法を思わせるうえでのその時点での及第点といったところ。
それとは別に、最後にキャプテンとその部下が、日本兵に狙われながらもうぉおおおおおおと逃げまくるシーンがあるのだけど、これもまぁ前半に印象づけた部位のリフレインを用いてて姑息ちゃあそうなんだが、自分としてはその彼ら二人がウネウネと走る姿、それを狙うアンチャン達、またそれをただ突っ立って応援するアンチャン達、これら三者の姿がとても滑稽でよろしかった。

グリーン・デスティニー ★★★★☆

中国全土で剣の名手として知られるリー・ムー・バイ。修行から帰った彼は、ある決意のもと自らが所有する名剣グリーン・デスティニーを手放すことに。そして弟子である女性剣士、シューリンに剣を北京のティエ氏まで届けるよう依頼する。ティエ宅についたシューリンは、そこで結婚を間近に控えた貴族の娘イェンと出会い、親交を深めるのだが・・・。
マトリックスのようなワイヤーアクションが多用されているアクション映画。マトリックス以降、こういう派手派手なアクションはつくづく自分に向いていないんだなぁと思う。というのがおそらくアクションの部分で最も見せ場であると思われる、強いヤツ対強いヤツの組み手争い、逃げたり追ったりのピョンピョン跳びはねるシーンなど、ワイヤー全開のアクションをえらーく長ーく見せられると、正直うっとおしい。
なら端から見なければいいのだが、これまた風聞で知った以外は、事前に内容を知らずにポスターやパッケージの雰囲気のみで観るものだから、当たり外れは承知の上、とりあえずどんなに不適応でも最後まで観るのが自分への戒めだ。意外にそうやって最後まで観ると、「なんだ、おもしろいじゃねえかよ」と帰結する作品も多い。そりゃあ制作者が一応自信を持って作ってるのだから、そうなるのが自然な流れだ。だから★が1や2なんてのはよっぽどでなければ付けてないです。
そんなワイヤーアクション嫌いでも、全然いけてしまうのがこの映画のアクション以外の部分、ストーリー自体が結構よかったからだろう。メインキャラの四人の心理がニュアンスでうまく伝えられていて、それがまたうさんくさいアメリカ野郎の表情でなく、ハリウッドのアジアンテイストというのがよい印象を持つ鍵になったのだと思う。
ハゲのチョウ・ユンファ、その愛人、そしてチョウ・ユンファの仇敵の娘、ピエール瀧似の武人、彼らの心理が納得いくまで丁寧に作られ、その反動としての娘の暴れはっちゃくっぷり、チョウ・ユンファの懐の深さ、淡々と進む中にも生一本な筋がある。要するに話として見応えがある。
マトリックス駄目な自分でもいけたのだから、普通に観る分にはおもしろいのでしょう。ただやはり長回しがきつかった。

AVARON ☆☆☆☆☆

人類が現実に絶望しきった世界。若者はAVARONというバーチャルリアリティーの戦闘ゲームに熱狂していた。うおうおうおうおうおう・・・・・。
↑のようなことがまず映画の始まる前に字で説明される。この時点でやばい感じがした。いきなりこういう説明から入るのは、あるいはその内容の膨大さ、またわかりにくさを補うためにしょうがなくやる場合と、あからさまに狙ってやる場合がある。狙ってやるというのは、映画のストーリーの中でニュアンスとして伝えるということが困難な場合に用いられるのが多いようだ。まあそういう作品は往々にしてつまらん。そしてニュアンスで伝えるという方法は映画の冒頭で放棄されるのだから、当然その後のストーリー中にも数多の『説明シーン』が盛り込まれるということだ。ありがたや。
本作は攻殻機動隊で知られる押井守の作品だ。というだけあって、この映画は生身の人間が演ずる実写映画なのだが作り自体はかなりアニメくさい。登場人物はとかく無表情、ニヒルを決め込み全体的に暗い雰囲気の作りだ。こういうアニメ映画ってとても多い。GHOST IN THE SHELLもそうだし、スプリガン、VAMPIREとか人狼もそうだった。なんというか、全体的な方法がアニメの方法なのである。詳しくはわからんが。いきなり説明ちゅうのもアニメでよくある。「20XX年、人類は地球上のうららうららうららららら・・・」とか。
ストーリーもアニメっぽくて、無敵の女主人公がその無敵のさらに上を目指すというもので、適当に敵がでたり仲間がでたりサイドストーリーがあったりする。
で、なんで★ゼロかというと、映画の最初から最後まで見たが全然つまらんかったのです。劇中に盛り上がりが全くないと見て取れたのである。やーるこーとなーすこーと中途半端!こうも平坦に淡々と進まれると、ほんとやっとられん。
さらにいかんのが前に書いた『説明シーン』がやたら多いこと。変な諜報部員のようなやつがでてきてはしゃべり散らし、戦闘、またしゃべり散らし、戦闘、と思ったら台詞なしで垂れ流し、さらにはどうでもいい賛美歌、この『映画中に歌が思いっきり歌われる』というのもやばい。これは非常にやばかった。
つまり、俺にとって実写でアニメの方法をとられるというのが、全然ダメだった。さらに、1.説明シーンの多用、2.歌をおもいっきり歌いやがる、この2点、数年間映画を見てきて『クソつまらんぞ馬鹿野郎』と感じた映画に共通のダメな部分が直球ど真ん中で放られたというのが致命傷。よって俺にとっては”投資不適格”えーーー。だめです。これ。