ホテル・ルワンダ ★★★★☆

1994年、ルワンダで起きたフツ族によるツチ族への100万人大量虐殺の話。
1994年。・・・・・・・・・プレステとサターンの次世代ハード対決。おい、真っ先に思い出したのこれかよ。
当時日本で、「バーチャファイター(※IIではない。まだバーチャルファイターと呼ぶ奴がクラスに2人ぐらいたし)すげえ。ポリゴンってやつ?すげえーーーー!!!」とサターンっ子でいた頃、俺の全く知らないアフリカ中部の国では大量虐殺が行われていた。そしてその事実を知ったのが2004年。知らないのは罪だが「知っただけで行動しないなら無意味」と思い始めている今日この頃、改めてこのルワンダ大量虐殺について考えさせられ打ち拉がれた。これが事実であるという前提で本作を見ると、例えば平静を装いネクタイを締めようとしても手がふるえてムキーーーなシーン、生唾飲み込む音が自分でも聞こえるほど見てて緊張するし、キンタマが萎む思いがする。
そもそも大量虐殺の大元の原因は、ベルギーによる植民地化にある。産業革命後、イギリスとフランスを中心に、ヨーロッパ諸国が調子に乗って各地域でわけのわからん「植民地」というものをこさえていった。それに便乗したベルギーが目に付けたのが現在のルワンダだった。映画の冒頭で報道記者が発した「君は何族?君は?よくわかんねえな」という、気を抜くとスルーしそうな会話の中に原因が凝縮されている。
つまりこのベルギーによるフツ族・ツチ族の区分けというのは決して厳密なものではなく、理由があるとするなら、被支配者に対立構造を無理矢理作り出して支配者が管理しやすくするための便宜上の分類だったということだ。ちょうど日本の江戸時代に社会通念として存在していたという「士農工商穢非」のようなものである。結局ルワンダ独立後も、このわけのわからん民族分類は形(IDカードという形)だけ残り、結果形だけの部族対立、大量虐殺を招いてしまったのである。もしルワンダが単一民族国家だったら起こらなかったかもしれない。従って内戦であれども、この虐殺を止めさせるためベルギー軍・国連平和維持部隊が積極的に介入する動機付けは確かに存在した。
だがベルギー及び当時ルワンダに関与していたイタリア・フランス軍が選んだのは自国民の保護だけだったんだな~。映画中盤で象徴的なモチーフとして描かれる、「バスに乗り込む白人とそれを凝視する黒人」という構図は白黒の差別構造ではなく、今なお残る植民地システムの象徴というのがせづなすぎる。大佐がポールに語った「君はニグロですらない。アフリカンなんだ。」というのも本作では強烈なメッセージとして発せられたシーンだ。
国連の平和維持部隊てのも有事下ではかなり微妙な存在だ。平和維持活動(Peace Keeping Operation)を実行する軍隊の名の通り、武器を携行しているにも関わらず、権限としては「平和維持」しかできない。つまり現時点で見かけ上平和であれば、有事に対する予防策や積極的な武力行使ができないということになる。実際フツ族の暴動についての事前リークがあったにも関わらず、権限的にはスルーしかできないということだったし、これは確かコソボ・ボスニア紛争でも問題になったと思うが、すげえ微妙な軍隊だ。
ただなあーーー。これはこういうノンフィクションな映画を見るとよく感じる思いなんだが、で、結局、俺は何ができるのだろうかと。映画の中でもあったように、「へえ~かわいそうだね~」と思いながら晩飯喰うしかねえのかと、やっぱ思うわけですよね。それに実際問題、これは過去のことだからどうしようもないじゃねえのとかそういう事でもない。現に民族・宗教対立は世界中で頻発しているし、大量虐殺にしたってイラク・北朝鮮・中国・スーダンでは今の、まさに今のリアルタイムで発生している事実としてあるのだ。これに果たして俺はコミットできるのか?環境問題の「レジ袋いりません」所の意思表示じゃねえんだって。そんなもん霞んでしまうほど、まさに今さ、ぼこぼこ人死んでんだろうよって。わからん。こればっかりは答えが見えん。「日本が安全ならそれで構わんじゃねえか」の答えももちろんある。ただ、俺自身はそこを何とかしたい。