そりゃ誰だって幸せになりたいが

私にはちんこがついている。こすればでかくなるし、もっとこすれば変な液が出るし、より強い衝撃を与えるとい、い、痛えよ、ってなる。大事な急所に何てことするんですか貴方は、って。ここで私が言いたいのは、自分はインポではないよ、ということではなく、もっと前の段階、つまりインポかどうかが問題となる状況、つうか、ええい、もうわけ分からん!要するに私はれっきとした男ですよ、って言いたいわけ!ついでにインポでもありません!

で、私が生物学的に雄であることがここにて立証されたわけだが、しかし私の心の性別は女なのです、GID(性同一性障害)なのです、これがいかに苦痛か分かりますか、我々の権利を認めてください、認めてください、つうか認めないと殺す…ってなるわけがない。いや、性別の不一致に苦しむ人々の権利は確かに認めるべきだとは思うが、この日記の主眼はそれではないし、何よりも私はそのような苦しみを味わっていない。何故なら私の心と体は性別というものに関しては非常によい関係を保っており、私の心はもう、全くといっていいほどの男である。いかに私がデヴィッド・ボウイの“John, I’m Only Dancing”を好んで聴いていようが、それは疑う余地のない事実である。日本人男性のバイブルと言えるであろう「男塾」もちゃんと読了済みだし。

しかしそんな私のささやかなマッチョイズムに疑問を投げかけるような事態が起こってしまった。あまり大きな声では言えないのだが、最近「フィールヤング」っていう漫画雑誌を読んでいるのだ。作家陣は有名どころでいうと安野モヨコ、やまだないと、内田春菊、小野塚カホリ、安彦麻理絵など。つまり思いっきり女性向け。「男が電車の中で堂々と女性向け漫画を読んでる図が面白くて」なんていう理由だったらどんなによかったか。普通に読んでます。結構面白いです。基本的に岡崎京子の漫画が目当てで読み始めたのだが、その連載が終わっても(もうすぐ終わる)買い続けてしまいそうで恐い。まあ男塾だって普通のジャンプコミックの頃は単行本の巻末に女の子の手紙が載ってたりしたわけで(大体飛燕のファンだったような気がする)、こんな雄がいてもいいのではないでしょうか。

ただ当然私はこの雑誌のターゲットオーディエンスではないので、漫画以外のページ(あと一部の漫画も)には相当な違和感を感じる。私は雑誌の懸賞に応募するような人ではないが、仮にそうであったとしても、フィールヤングの懸賞には応募しないだろう。だってセクシーランジェリーなんかをもらってとうしろっつうの?いや、色々と楽しい遊び方もあるだろうが、そんな楽しい遊びをしてる自分はちょっと嫌。

しかし特に目を見張るべきは、裏表紙にある広告。男であるなら男性誌やエロ本で見たことがあるだろう。幸運をもたらすグッズの広告を。この石のおかげでギャンブル運が上がったとか女とやりたい放題だとか。それの女バージョンがあるのだ。まあ女だろうが男だろうが人間である以上欲望に支配されていることに変わりはないので、別段驚くべきことでもないのかもしれないが、それでも初めて見た時はつい笑ってしまった。いきなりホテルに連れ込んだとか、そういう露骨な話になりがちな男性バージョンとは違い、女性バージョンはどちらかというと純愛路線なようだ。今現在手元にある最新号の裏表紙には、顔の非常に不自由な女性とイケメンの男のラブラブな写真が飾られている。エロ本なんかでこういう広告を見る度に「こんなの買う男の顔見てみたい」と思う私であるが、こんなの買う女の顔はもっと見たいかもしれない。

すまん、強化週間はほかの二人で頑張ってくれ…。

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