ラン・ローラ・ラン ★★★★★

ローラの恋人マニはギャングの卵。そのマニが偉い人から預かったカネを電車に置き忘れてしまう。受け渡しの時間まで後20分。ローラが走る。
映画の冒頭で、ガードマンがサッカーの話をする。「ボールと90分。後はすべて推測だ。」
本編での事実は大きくこのふたつ。
1.マニ(ローラの彼氏)の持ってた金がパクられた。
2.11時40分から12時までの出来事である。
要はこの事実の中でドリフの「もしもシリーズ」のように、3つの未来の可能性が考えられる。「ローラの死」・「マニの死」・「ハッピーエンド」いずれも事実と虚構の中にあるということだ。
題字のごとくローラはとにかく走りまくってるんだが、その20分の間の少しのずれでローラとマニだけでなく、途中でぶつかるババアやチャリに乗った若者の未来(一生)がめちゃくちゃ変わってしまうという、そこだけとってもこの映画の見せ方が把握できれば楽しめるところだ。
そもそもローラの「走る」という行為が未来へ向かっていくことで、それは決して自分の力で未来を切り開くものでない、すべて他人任せで未来が決まる、走ればなんとかなるだろうという主体性なきギャンブルのようなもので、結局ローラ、マニの「死」が残ったということだ。
結局未来なんてどんなに自分が道筋を用意しようとも、周りとの関わりの部分で決まることがあまりにも多すぎて、この映画のごとく未来の可能性の一つを歩んでいるにすぎない。
いやこの映画ではローラに念力という未来へのパワーを授けている。「ムキィーー」とかいって絶叫すると、ローラに望む未来がもたらされるというすばらしい力だ。こういうのもアリね。
ローラは念力でハッピーエンドをてにいれた。・・・いやハッピーエンドか?「もし私が死んだらどうする?」なんて言ってる所のローラとマニの主体性のなさからすれば、死の裏返しの生も、生=ハッピーとは言えないのかな。
とにかくこの映画は「そんな未来あるかよ」っちゅう未来を用意してます。スーパーバイオレンステクノお笑いムービーとでも言っとこうか。ドイツ映画ということでテクノ満載です。

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