サイダーハウスルール ★★★★★

医療施設も兼ねている孤児院で育てられたホーマーは、辣腕産婦人科医ラーチによって医師としての技術や知識を教え込まれる。そうして彼は自ずから、またもって生まれた天性から、医師として一通りの事ができるようになった。しかしその感覚がない当の本人。そこにある若い連れ合いが堕胎手術のために孤児院を訪れた・・・・!
原作・脚本が小説家のものらしいので、というかガープの世界と同じ作家らしい、まあふつうに考えられるのはその原作小説を大幅にハショッたのが映画になったんだろう。当方小説はあんまり読みませんので、その具合というのはわかりません。が、往々にして小説の映画化は最早別物、比べることはできないほどだというものであります。
でこの完全オリジナルの映画は、戦争の時代設定で「堕胎」を中心テーマと起きながらも実はさにあらず、これは主人公ホーマーの流板武者修行日記のようなものであります。孤児院やら堕胎やら、テーマは重いんだけど映像はかなりサラリと観れる。
それはホーマー自身が最初から孤児院にいて、そして堕胎が身近にあって、彼自身感情の高ぶりも見せず淡々と振る舞う、また先に書いたようにこれがテーマであってテーマでない、テーマはホーマー自身だということがあるからだろう。
むしろホーマーに感情移入してしまうような、別れのシーンや最後のレントゲンやラストシーンや、彼が大きくなっていく、またなっているシーンに大きく感情が高ぶり、あ~なんかやっぱこういう映画っていいなこのやろう。
そこであらためて思うのがサイダーハウスルールっていうタイトルなわけで、そこには『流板ホーナーの武者修行日記ではださいからこのタイトルで』という流れは当然なく、それはたしかにそのルールが2度登場するんだけど、そこでサラッと語られる事がこの映画を象徴してる。思えば堕胎がありやなしやにしても、愛情の裏っ返しの×××にしても、それこそサイダーハウスのルールにしても、すべて己らが決めているってこと。
こういうテーマの重さに対して、この爽快感!いい映画だった。
全く関係ないが、ホーマーっていう名前を打つとき、ついホーナーって打ってしまい(mとnって近いでしょ。キーの位置。)、あのヤクルトのホーナーを思い出し、たしかめがねデブだったよな、あれがあのヤクルトの青いというか水色みたいなユニフォーム着てたんか、そうかそうか、バントでホームランか、ってなりました。頭ん中で。

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