バッファロー’66 ★★★★☆

刑務所から釈放されたボーン・ブラウンは5年ぶりに親に会いに行く。彼はその5年間、政府の仕事に就いているとウソをついていた。ボーンは帰路、女を拉致してウエンディと命名する。ウエンディに妻を演じさせ、二人に奇妙な関係ができてくるのだが、やがてボーンは服役の原因となったある人物を殺しに出かける・・・。
ヴィンセント・ギャロ脚本、監督作品。調べると彼はアナスイとかのモデルでもあり、画家でもあり、本作のような演者でもあり、またバンドマンでもある。ヴィジュアルも格好良く、さらにマルチな才能があるんだから、もう羨ましいを通り越して、これからも頑張れよ、って感じには素直にはならない。
この映画、会話の一つ一つや手法はとても面白い。特にグーンとボーンの電話はおもろい。しかしストーリー全体をみればとっても悲しいのである。ラストはある種のハッピーエンドになったが、あれがハッピーエンドで終わらなければ、ヴィンセント・ギャロちゅうヤツはマルチなくせにこんな陰湿なのかいって思ってしまうところだった。
而してそのハッピーなエンドに至るまでの話、これは見ているうちに段々きいてくる。ボーンがあまりにもかわいそうで目も当てられないほどに。そのバックグラウンドは恐らく両親にあると思うが、ボーンが「親友」というフレーズを多用するのがなんとも痛ましい。
そこに表れたのがレイラ=ウエンディである。このクリスティーナ・リッチという女優、良く言えばグラマラス、否デブで短足の女なのだが妙にかわいい。全身みると「デブってるな~」「足みじけ~な」とか思うんだが、あの顔とあの体型が妙にソソる。
この女はボーンに拉致られるということになんの抵抗もなさそうだし両親にも愛想良い。同情が愛情に変わったなんて単純なもんじゃないが、とにかくボーンをほっとけない気持ちになったんだろうか。それはボーンの表面的には表れない優しさ、誠実さをレイラが感じたのかもしれない。
そういう顛末で、悲しさ全開の男ボーンがハッピーエンドに終わった。正直よかったよかったと思いました。ほっとしたと言おうか、ハッピーということに賞賛を送りたくなるほどだった。それだけでこの映画は満足。爽快感さえある。平たく言えば、ダメ人間がハッピーエンドを迎えたことがうれしかったんである。
満足のまま幕は下りた。刹那、日本のプロモ会社の宣伝につぐ宣伝。写真大会、パンツプレゼント。そんなもんんいらんのじゃ。そういう輩に-1。

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