かつて正義のために戦地に赴き、空しく国家に裏切られた軍人、柘植。彼が起こした東京テロに対抗するためパトレイバー(つーか後藤)が行動する話。
何らかの敵に対し能動的に動いて最後はレイバー部隊でやっつけるという骨子は前作とほぼ変わらない。ただ本作は、前作では裏方で遊馬一辺倒な話にアクセントを付ける存在だった後藤(前作では名前も覚えておらず「部長みたいな人」と書いているぐらいサブな人)が前面に押し出され、よりハードボイルドな感じが強まっていてよろしい。
それはテーマが「身近に起きた戦争状態というリアリティ」なので、最早遊馬程度でどうこうできるレベルではなく、後藤とあの女のボスみたいなやつ(こっちは名前覚えきれなかった)が本気で考え・行動することになる、スケールの問題があったんだろう。パトレイバー自体に思い入れのない自分としては、前作のようないかにも「レイバー大活躍中」のようなストーリー展開より、警察・自衛隊という国家組織まで巻き込み、要所に計り知れない情報スパイを挟み込んで、なんというか一つ一つの場面展開にもよく表れているんだけど、戦争のリアリティを追求したのがかなり良かった。
現代の日本での、しかも首都圏における戦争状態を想像することは自分にはできない。じゃああの、新宿マイシティ前で毒ガスもどきが散布され、戦車に乗った軍人がたばこ屋のおばちゃんからタバコを買う、この映画におけるいかにもな風景、もっと言えばおしつけがましいリアリティ描写は一体なんなんだろう。
現実と現実感てのは違って、前者は客観であり、後者は個人それぞれが感じる主観的なものだ。リアリティはそりゃもう無限にリアクションしてしまうけれども、リアルってのは日常の半径いくらかにおける、かなりこじんまりとしたものである。
折しもアメリカーイラク戦争終結直後の今、例えば子供が死んで悲しいと嘆く人の映像があったとして、「あらかわいそう」「へえ」「ふーん」「あっそう」とか色んな感情を抱くであろうが、それは俺のリアリティにはならない。ただあるのはそういった一時の感情と、普通の日常である。与えられた平和、他の犠牲のもとでの平和であってもそれが多くの日本人のリアルであり、正直リアルで日本で戦争が起こるなんてちっとも思っていない。仮に戦争になっても多くの日本人がそれと気付かず座して死ぬんだろう。自分もその中の一人になりそうだ。
よってリアリティは必ずしもリアルの裏付けを必要とするわけではない。映画におけるリアリティは、ストーリー展開に対する人物の考え・行動に説得力があるかどうかだと思う。一発の爆弾による女ボスの呆気に取られた顔から、段々極度の戦争状態に陥り、それが麻痺して日常になってしまう感覚。秀逸なリアリティ描写のゴリ押しは、否応にも観る側をストーリーに入り込ませてくれる。それを最後に後藤の「東京で戦争はせますぎる」という言葉でリアリティからリアルに戻される感じ。よって柘植逮捕の所はあまり覚えていない。
最後に流れるクレジットでは、最初後藤で次女ボス、レイバー部隊、その他大勢、スパイ、最後柘植の順だと思っていたが、ノア(漢字わからん)や遊馬といったレイバー部隊の中に後藤や女ボスが紛れ込んでいたのは意外だった。あくまでパトレイバーという感じなのかもしれんが、組織に愛想が尽き、それに対してどう反応するかという時の後藤と柘植の差、後藤はそれでもなおレイバー部隊として行動し、柘植は未来を見たかったと語る。案外最後の最後、これを物語りたかったのかもしれない。