ギャング・オブ・ニューヨーク ★★★★★

南北戦争少し前のアメリカはニューヨーク、父親をギャング団の頭目に殺されたその子供が大きくなって復讐する話・・・・という体のアメリカ史映画。
見る前は「プリ男がギャングモノ?あのベビーフェイスでか?」と、いわゆるアクションをメインとした”マフィア映画”を想像していたんだが、実際見てみるとこれが全く違った。
アメリカの歴史についてはざっくりとしか知らない(フランス革命頃に独立戦争があって、1800年代中頃に南北戦争があって、1900年代以降は色々外国とも絡んでくるからまあまあ知ってる)ため、この映画も同様にざっくりとしか楽しめなかったと思う。例えば当時アイルランド移民が経済不況からアメリカに殺到していたという事実は知らなかったし、ニューヨークの自治がどのようになされていたのか、また風習や慣習を含めた文化的背景(奴隷制度とかracismとかそういう事ではなくてもっと細部に到る、服装・流行・喰いもんなど)、こういう点も映画の中から見極めるだけで、自分の中では全く消化しきれていない。史実映画は細部を楽しめるかどうか=その歴史について多少なりとも知っているかどうかがかなり大きなポイントなので、そこは自分自身に大きなマイナスだ。ただ見終わった映画が面白いと、一気にその歴史について知りたくなるという良い部分もある。
比較的歴史好きの自分がどうしてこれまでアメリカ史を知らなかったか、興味なかったかというと、まずその歴史の浅さがネックとなっていた。実際独立戦争前まではいろんなヨーロッパの国が面白半分に植民地にして、勝手に勢力抗争をやっていたので、その時代も含めてそれ以前も、どうしてもヨーロッパ各国の歴史を追っていきたくなる。また新大陸にバンバン送られてくるニガーの奴隷さん達の事をリアルに想像するとかなりせづなくなるので、正直その部分は避けていたというのもある。象徴的な資料としてよく見る「すし詰め奴隷船」の図は酷すぎ。ああいうのを見てリアルに想像すると、当然うんこおしっこは垂れ流しだし、身動き取れないまま新大陸に着くまで自分の一つ上にいるやつのうんこが頭にびっちりかかったまま船に乗ってるのを描いたりすると、ゆううつな気分になる。
歴史認識の有無による差を一つ挙げると、プリ男が自らを「アムステルダム」と名乗った時、真っ先にオランダのアムステルダムが思いついたが、それに対しブッチャーは「俺はニューヨークだ」と含みを持たせて返答している。なぜプリ男がそれを名乗ったかと言えば、ニューヨークがイギリスの植民地になる前、オランダの植民地で「ニュー・アムステルダム」と呼ばれていたということだ。このへんをサクッと知っていればストーリーの中でもっと楽しめたのに。
文化・慣習について、アイルランド移民を中心とした「デッド・ラビッツ」がカトリック教の神父(プリ男の親父)を頭目にしていることは理解できても、神父なのにぶっ殺しまくるのはアリなのか?とか、ピューリタン(プロテスタント)の「ネイティヴズ」がなぜ「ネイティヴ」を名乗ってるのか(ネイティヴ・アメリカン≒インディアンを排斥したことを皮肉っているのだろうか)、それと関連してそれぞれの宗教に対するポジショニング(行事やお祈り)などもきちんとつかめていない。これはもう、キリスト教徒でないとわからん事かもなあ。
自治について、これは現代アメリカでもまだ影響が残っているであろう「連邦主義」的な発想だ。州ごとの自治が大幅に認められ、それぞれの州に特有の制度があるのは今でも度々取り上げられる。それが1800年代中期のニューヨークではどういう感じだったのか。だから、この映画では終盤まで政治統治よりもギャングを背景にした圧倒的な武力による均衡が描かれていたが、プリ男がヘルズゲートに収監されていた10数年間、つまりブッチャーが街の暴れ者の頭目から、地位を得て街全体に影響を及ぼす政治のフィクサーに変化する間のことが見えてこない。
以上書いてきたことのように、この映画は基本復讐劇の体を借りているが実は史実映画で、その本質は「古い時代から新しい時代への転換」だ。徴兵制を免れようと市民が蜂起した時、それを鎮圧したのは軍隊=国家権力だったし、かつて大通りで決着が付くまで闘うことのできたギャング抗争は、軍による艦砲射撃によって始まることなく集結させられた。ここに、ギャング=武力による均衡から国家による統治に変化していったことを象徴している。
金持ちは「貧乏人同士が同士討ちするだろう」みたいなことを言ったが、まさにその通りになったわけだ。プリ男は個人的に復讐を果たしたが、結果的にはブッチャー共々敗北した形になった。ブッチャーを演じたダニエル・デイ・ルイスはこの映画で役者として一人勝ちした奴だ。プリ男やあの女の現代風な風貌が全く違和感のある中、こいつは1800年代中期を貫いた。この映画にして最高の役者だった。
そしてラスト、テーマソングと共にブッチャーとヴァロン神父がニューヨークを見渡す中、時代が進むに連れてどんどん街は発展していく。最後WTCのツインタワーが映った所で暗転。この映画にしてこの暗転はやはりメッセージ性の強い締め方だ。暗転後GANGS OF NEW YORKの題字が。いい感じのラストだ。ヴォーカルも聞こえてきたが、なんか聞いたことある声だ。歌自体もこの映画のために書き下ろされたような詞の内容だ。まーしばらく見てようとだまっていると・・・・・なんとかかんとかU2。あーーーぼのぼのか。この声そうだぼのぼのだ。流石に『この映画のテーマソングをU2』ここはわかるぞ。なんとも粋な計らいだ。
てことで、是非この映画を最初から最後まで鬼畜に見てもらいその感想が聞きたい。野郎は確か歴史があまり好きではないが(違ってたらごめん)、多少なりとも自分にからんでいるのを見るのは面白いのではなかろうか。
長い文章だな。まあ映画の長さを反映してるんだろう。
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上の感想を書いてから他人の感想を見てみると、やたらに評判が悪い。いくつかみてみると、どうも当時の宣伝では「プリ男と女のラブロマンス」が前面に押し出されていたらしい。そりゃーいかんわ。この映画は史実映画として見てこそおもしろさがわかる映画だし、ストーリーやプリ男をメインに見ると非常に中途半端に映るだろう。「ギルバート・グレイプ」ではなく「タイタニック」あたりでプリ男にハマった婦女子などは、プリ男のプリっぷりを堪能するはずが血と暴力の残酷描写にノックダウンだろうな。
これは、プリ男という集客力のあるアイドルをキャスティングせねば興行収入につながらないであろうというスポンサー・販売会社の思惑と、プリ男をキャスティングしさえすれば潤沢な資金で自分の好きな映画が撮れるという個性派監督スコセッシの思惑が変な形で結びついた結果だ。ハリウッド大作の悲しさだ。そして、スポンサー・販売会社の思惑に飛びついた観客は正直この2時間半以上の映画を良く我慢したと思う。南無。

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