2001年宇宙の旅 ★★★★★

人類創世記、ヒトは武器を手にして文明を築いた。時は流れ2001年。宇宙まで進出した人類は月に黒い石版を発見する。果たしてこれは何なのか?そして人類はどうなる?スタンリー・キューブリックの描いた一つの未来の形。
この映画の核となる黒い石板は3回登場する。1回目は「人類の夜明け」のところで、それまでなんの知恵も持たない初期の人類に、黒い石板が「道具を使う」という知恵を授ける。その知恵を持って、道具を使える人間が圧倒的な優位に立ち、その後進化していくという意味がある。あの武器ぶん投げ→宇宙船の場面転換は、圧倒的な科学進歩を描いているということだ。あの一瞬でそれを描く発想は素晴らしい。
2回目は2001年の宇宙、月の地中に黒い石板が埋められていたのを人類が発見した。つまりそれは、人類が「月に到達し地中の石板を掘り起こせるほどの文明を得た」と言うことを意味する。
3回目はHALコンピューターを超越した人間が、木星で遭遇する。
要するに黒い石板の意味は、人類を作り出した神が人類の発展の度合いを確認し、そして最終的に人類の中から最も優れた人類を抽出することにある。ここまでの話で自分としては、新人類の誕生を描いたものだという解釈を得た。
ただ話はこれで終わらないらしい。地球はその選ばれた人類に与えられる玩具らしい。しかし選ばれた人類である人間(ボウマン)が、確かにコンピューターを超越したが、同乗の宇宙飛行士を宇宙に放つという、自己の恨みを晴らすために利用したために、最終的に誕生→消滅の無限ループにさらされてしまうという。つまり、最後の石板が突如老衰した選ばれた人類の前に現れ、赤ん坊のシーンに移るのは、神が欲にまみれた人類を、やはり抽出するのにふさわしくないものとして、罰を与えているのだ。
これをみてすぐ思いついたのが、手塚治虫の「火の鳥」と「ジョジョ」だ。火の鳥のテーマは突き詰めると「輪廻転生」「因果応報」だし、ジョジョのテーマは人間賛歌。とくに第二部の最後、カーズが人類を超越した人類となり結局、生の無限ループに陥る、第五部のボスが「死ぬ→死ぬ前」の無限ループに陥るシーンは、もろにこの映画の影響を受けているんだろう。そういうふうに考えてもういっぺん映画を見ると、非常に深い映画だ。

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