千がクリーチャーを風呂に入れる話。
よくできとるよね。テンポいいし、たるくもないし、キャラは相変わらずそろってるし、見せ場は見せるし、テーマはやんわり匂わすし、なんつーか見ていて率直に思ったこと「参りました。」
けどね・・・。まあ当たり前なんですけどやられてないのよねこっちは。つまり、古くは未来少年コナンからあるわけだ。その後記憶曖昧かもしれんが、ナウシカ・ラピュタ・トトロ・魔女宅・もののけ、、、やってることは大体同じ作者がやってんだから筋が一本通ってるわけだ。どれが良くてどれが自分にぴったりくる、それは人それぞれであるが(自分はコナン・ラピュタです)、その前からの流れをくんだ最新作であり、テーマも醸成されていい感じになる。今回は人間のつながりまでテーマにしてたし。そうなると、千と千尋で受けるべき衝撃を過去に一度ぐらいは受けている。それぐらい衝撃のある映画であることは見ながらわかるし、それがためにやられた感はないということになる。
ただ変わった部分もある。それは前述した人間関係の描き方。厳密に言えば”人間”関係ではないが、千尋が千に変わったり、またあの川の奴(名前忘れた)の名前を思い出したときは素直にあーよかったよかったと思えたし。
「顔なし」ってのはまさしく顔が見えないという人間関係・時代の有り様を示唆してるんだろう。千尋の「わたしが欲しいものはあんた持ってねえよ」的なセリフが象徴的だ。えーとあれだ、この煮詰まった時代における「ほんとの豊かさって何?」というテーマだ。
ただこの議論自体はあまり意味がない。意味がないつーか、たとえばアフリカあたりで内戦とかやっててハエが集ってる飯を奪い合う所に「ねえねえほんとの豊かさって何だろね」と聞いてもたぶん「どうでもいいから飯くれ」しか言わんだろう。つまりそれは、資本主義が煮詰まっていっぺんその盛り上がりがバブルでぶっ壊れた物質的に豊かな社会(=先進国)のみが持てる問いであって、個人レベルではそれぞれの豊かさを追求するかもしれないが、全体では恐らく二つに一つ、とりあえず作り続けるだけ作ってみるか、資本主義を極めた時代の共産主義(社会主義)に移行するのか、だいたいこんぐらいだろう。
て全然話変わってるよ。とにかく、20数年間同じテーマで傑作を作り続けた監督の作品だから言えることだけど、また自身もそう言っていることだが、これは子供が見るべき映画だ。逆に言えば大人がこれを評論することにはあまり意味がない。せいぜいこれまで書いてきたような思いつきの感想文を書くぐらいが関の山だろう。
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【追記】
技術的な部分だけど、アニメのアニメたる部分、口の動き。いい加減「開く」「閉じる」の2パターンだけという伝統は破るべきでは無かろうか。「あ」「い」「う」「え」「お」基本の5パターンを作れば全然違ってくるはず。これぐらいの大作がブレイクスルー起こさないときっかけにならんし。
あとDVDで見たが、やっぱ全体的に赤いと思う。オリジナルを見てなくてもそう思うんだから、これは大問題なんだろね。
カテゴリー: 映画
OK牧場の決斗 ★★★☆☆
土地の者と新参者の縄張り対決。
今OK牧場という言葉にイメージされるものといえば、真っ先にくるのは残念ながらこの映画ではなく彼である。よくわかんないが彼のフィーリングに
OK牧場!
という言葉がマッチしたのだろう、この映画とは関係なしに一人歩きしているが、その言葉の由来こそがこの映画で登場するものなんだろう。本末転倒だ。
もちろんこの映画はぼくさーボクサーなんだよねとは一切関係なくて、昔よくあった(つうか今なさすぎ)西部劇モノの中の決闘モノの傑作映画として知られている。題材的にはワイアットアープという歴史上の保安官を主人公に、彼の土地に流れ着いた荒くれ者どもを排除すると言うもの。ワイアットアープ自体は、ケビンコスナーがトップスターだった1990年代初め頃にもろそのままの名前で映画化されている。こちらも見ると楽しめるかも。
否応にも記憶に残るのがあのヘンテコな歌。馬に乗って移動するたびにせづねぇフレーズが流れるのでもう快感フレーズといった感じです。
仮にこれが西部劇ものの一応マックス近いのであれば、もう西部劇ものは見なくていい。というぐらいあんましがっつりこない映画だった正直。
ミクロの決死圏 ★★★☆☆
ミクロになって人間の体内に進入する話。
正確な時代背景はわからんけど、恐らくこの頃冷戦真っ盛りでキューバ危機なんかあったりする一方で、人類が宇宙とか過去未来なんぞにワクワク感を抱きはじめた頃だと思うんです。で実際冷戦の一環で一応宇宙に行ってしまうわけだし。その中のテーマに「ミクロ」というのがある。人間がちっちゃくなったらなんかおもろいよね。だよねー。それを映画化したらこうなりました。
せっかくミクロになっても、銭湯に行ってのぞきをする映画では映画として不適切で話にならないので、というかこのネタは日本でしか通用せずしかも江戸家猫八が必要なんだけどもう死んでしまって子猫しかいないし、どうにもならんので、あえてここは人体に潜り込ませることにした。
当時を慮っても仕方がないので現代の人間の感想ではあるが、やはり迫力不足は否めない。ここはもう現実から逸脱してもいいから、なんとかこう、白血球をムキムキのマッチョなサイコ野郎のような描き方をしてもおもしろかったのではなかろうか。そんなマッチョが人体に無数にいるのを想像するのはおもしろいし。
とこのように非常に適当に書くぐらいパッとしない映画でした。60年代の名作映画なんてだいたいこんなもんよね。
私が愛したギャングスター ★★★☆☆
アイルランドのギャングスター、マイケル・リンチVS市警。
ちんちんOKの境界線ってどこだろう。ムーニーマンのCMで男の幼児があからさまに出したまんまで徘徊する映像はたぶんOKで、AVで男優が肉棒をさらけ出すのは要モザイク、ただ鶴瓶がハプニングで出しても(狙って出してると取ることもできるが)その後なんの問題もなくアリになってしまうことから判断すると、要は肉欲棒太郎状態が完璧NGで、あとは各自の自主規制に判断を委ねているんだろう。ちんちんの境界はむずかしい。
とこれは、最後に何気なく大人のちんちんがモザなしで映し出されるから気になった点で、この映画の善し悪しとは一切関係ない。ただ、大人と言えどかわいらしい感じだったので映倫通過できたのではなかろうか。
話はひどく滑稽というか、マイケルが敵対視する権力側の描き方が安易すぎて、いまいち世界観に入り込むことができなかった。時代設定はよくわからんが、今日日の警察はあれほどアホ勢揃いではないだろうし、マイケルの格好良さを過剰に出そうとしても、あんなのが相手ではそれが十分に伝わらない。
ターゲットがだんだん大物になり、それだけ分け前も大きくなると、金だけでつながっているのか根っこからの信頼関係があるのか、その緊張感を出すこともなく、裏切るやつはさっさと裏切るし、ストーリーの流れに関わる出来事がなんかフワフワしてんだよなあ。
それでもこの映画は、ケビン・スペイシーだけが強調されていて、しかもまあまあ面白いんだからこの俳優の良さが際だってしまった。あと久しぶりに聞いたぜblur。
COWBOY BEBOP 天国の扉 ★★★☆☆
スパイク・ジェット・フェイ・エド・アインが色々奮闘する話。
えー本作はアニメ「COWBOY BEBOP」の劇場版だから、仮に本作を見るのならば事前にアニメ本編全26話を見ておくことをオススメします。つーか本編見てなくてこれが最初て人はあまりいないか。
自分はCOWBOY BEBOPのアニメ本編をとても楽しく見ることができて、それとの比較になってしまうのだが、まず4人+1匹が普通にあれこれやってる、そしてBIG SHOT(賞金稼ぎ番組)がまだやってることから、劇場版は本編で言う Session23 「ブレイン・スクラッチ」より前の話だと推測できる。
それだと終末に向けての重い話になる前の、どちらかと言えば冒険活劇的ひとつのCOWBOY BEBOP話としてみるのがまあ、適当なんだろう。そう考えると特にノリ的な矛盾は感じない。終末を迎えるのはこの後だからだ。
ただ劇場版という大体120分ぐらいの決まった尺があって、それに合わせてCOWBOY BEBOPを作ってみた結果、それはCOWBOY BEBOPではなく登場人物がキャラクターとしてのしかるべき行動をただやっているだけの、ふつうのアニメ映画のようになってしまっていた。
その原因は一番がテンポ。本編の30分という時間に濃縮されたものがBEBOPのテンポであって、それが120分になるとなんかまどろこしい、ダルい感じになる。
本編の終末、スパイクVSヴィシャスのあっさりとした決闘が印象強いだけに、やはりテンポの悪さというか、余計な尺稼ぎは気になる。でもまあファンムービーとして考えればこれもまたアリなんじゃないかと。
ドラえもん のび太と鉄人兵団 ★★☆☆☆
鉄人兵団とドラえもんらの対決。
根本的な問題であり、それがかつ非常に重大な問題であるからどうしようもない。ドラえもんのメインキャラ5人がそれぞれ話すたびに
ドラえもん = 大山のぶよ
のび太 = コナン(未来少年コナンの)
スネ夫 = 本官さん(元祖天才バカボンの)
ジャイアン = ジャイアン
しずかちゃん = しずかちゃん
こういう感じに脳内で変換されてしまう。特にドラえもん=大山のぶよが最悪で、リアル大山のぶよの感じ悪さを知っているだけにここが一番つらい。「ドラえもんのうた」は「大山のぶよのうた」に変換され、濁声のおばさんがおもしろソングをレコーディングスタジオかなんかで録音している様を想像し爆笑、もうそのころには「ドラえもん のび太と鉄人兵団」どころではなくて、大山のぶよが9割方脳内を席巻していた。
だから感動的なストーリーにもあまり乗っかれず、正直全然面白くなくて、その面白くないのにまだ見てるという状況が一周して逆におもしろくなったり、途中大便意がきてトイレに行ったのだがその時も一時停止せずに垂れ流し、トイレの中ではゴルゴ13のスハルト政権転覆物語を読んでいて、トイレから戻ったら終わってた・・・て感じ。でも、まあいいか。みたいな。
すごくおもしろかったです。
ビッグヒット ★★☆☆☆
ヒットマンの四方山話。
一言で言えばくだらない。くだらないの種類も色々あるが、この映画のくだらないはココロのボスが「クーダラナイ、クーダラナイ」と言う、その「くだらない」。
お前に弾当たらなすぎ・お前の弾当たりすぎ・お前ら軽々しく人殺しすぎ・お前AV見すぎ・お前馬鹿すぎ・キングコング2にこだわりすぎ・復活しすぎ、~しすぎがたくさんある映画で、こんなのを真剣に見てはだめだ。適度に笑い、適度に緊張するぐらいでいい。
その緊張の部分だが、ゲロ吐き親父が酔っぱらって絡むシーンの駆け引きは見応え合ったよなんか知らんけど。
メメント ★★★☆☆
直近の記憶はすっかり忘れてしまうという設定のおっさんが探偵ごっこする話。
ここは正直に書こう。よくわからん。正確には、わかろうとする努力をしなかったと言った方がいいかもしれない。
本作は主人公の「記憶ズッポリ抜け」という設定を活かして、恐らく時間の流れに沿って撮影したであろう映像を色々ちょこちょこぶった切って、過去と現在が交錯していくように編集してあると思われる。
なのでまず冒頭で結末の未来(これも適当な表現かどうかわからんが)を見せて、徐々に過去から繋いでいって最後に実はおまえの妄想探偵ごっこに付き合っただけ、という終幕(←この衝撃的事実も野郎はすっかり忘れとる)。これであってんのかな。まあどうでもいいや。
で、最初に書いたとおりよくわからん。よくわからんもんはよくわからん。感じとしてはユージュアル・サスペクツの流れをかなり濃縮還元した感じ。
仮にこういうのが新感覚映画として流行ってしまうとそれはそれで映画を見るのが一苦労になるので困る。スナッチ・パルプフィクションぐらいがちょうどいいね。
ハイ・フィデリティ ★★★☆☆
音楽オタクの男が過去に振られた女性達にお礼参りの旅に出る話。
「ゴーストワールド」の強い印象が残っているすぐ後ぐらいにこの映画を見たので、非常にだるかった。その理由はゴーストワールド→この映画見る、を参照。
主人公の発言で「人間の上下てのは、その人の人間性でなく価値観の合致に起因する」みたいなセリフが意図的に使われていたが、これが象徴するように主人公は音楽というフィールドで差別意識を持っている音楽オタクだ。彼には彼なりに自分が愛する音楽は格好いいものであり、格好いいやつしか聴けない音楽であるという崇高な意識がある。
そしてそういった選民意識を根本にした発言を観客に語りかけるようにまくしたてるものだから、前述したゴーストワールド後の余韻があるととてもまどろっこしい。
つまりああまたこれ書くのか、俺は音楽オタクではないが彼らの気持ちはわかる。だから説明はいらないのです。しかもそれがゴーストワールドという触媒で増幅された後だったから、なおのこと感じるものが大きかった。
しかし本作の場合は主人公が徐々に呪縛から解放され、最後にはなんだっけか、、、「サマーソニックバイブレーター改めなんとかアンドおよねーず」みたいな極めて破壊的なバンド紹介までやってしまって、そのラブソングに乗っかり、自分本位でない「あいつが聴いてよろこびそうな俺テープ」を作ったり、要するに善良なオタクとしての新しい道を開けていったのは良しとしよう。もしフェードアウトだったら、ゴーストワールドと併せ技で見ているこっちがダブルKOだった。
ゲット・ショーティ ★★★☆☆
映画マニアのギャングが色々あって実際映画を作ってしまうような話。
率直な印象としては、なんだかすごくガチャガチャした映画だなぁと。虎ボルタ以外の俳優も皆何かの映画でいい感じの役で見た覚えのある人が多く、そこは各自の持ち場のところできっちりきまった演技をしていて随所にかっこよさは見て取れる。あと過去にあった名作の題材やセリフを皮肉ったり、往年の映画ファンならもっと楽しめたのかもしれん。
ただ肝心のストーリーが大雑把というか、俳優のかっこよさに被せうるほど十分濃厚でない気がする。おもしろいのだけど、なんだか物足りない映画。だな。