ベルヴィル・ランデブー ★★★★★

ツール・ド・フランス出場中に誘拐された孫を捜してベルヴィルにやってきたばあちゃんと犬の話。
映像に偏重したストーリー構成、アニメならではの大胆なデフォルメ、登場人物のキャラ付けの細かさ・うまさ、BGMになっていない音楽の格好良さ、本作は全てにおいて非常に良くできたアニメ映画だ。実写では不可能な手法をふんだんに取り入れて、アニメでしかできない表現でよくぞここまで突き詰めたもんだと、映像メディアの強みを理解し活かしている姿勢は、なんか感動すら感じる。
作家の映像へのこだわりは冒頭から見て取れる。イントロシーンのベルヴィルでのショー、ストーリーにも大きく関わる3人組に続いて登場したのは、その昔奇妙な動きと腹立つ寄り目で映像メディア初期の人気者になった黒人ダンサーだ。名前は忘れたが、「映像の世紀」に登場したのを思い出した。次に登場したタップダンサーも恐らく、なんらかの人気を博した人物と目され、つまりこの監督はストーリーとは関係ない冒頭でこれらの人物を登場させることにより、時代背景の明示だけではなく、アニメによるカメオ、映像文化の歴史に対するリスペクトを表明しているのではないかと感じられた。
というのも、前述の通り本作はセリフらしいセリフがほとんどないのだ。映像とSEによる状況説明、主に目の動きにこだわった感情表現、デフォルメを多用することでデフォルメの奇抜さを標準的な表現とする大胆な体の動きを用いて、セリフが無くともその意図は伝わるし、敢えて制限を加える事は結果的に映像と音声それぞれの重みを増してくれる。
またそれは、キャラクター相互の「以心伝心」効果にも繋がってくる。親を亡くしたとおぼしき孫のために、なんとかしてやろうと試行錯誤するばあちゃんと、それに内気ながら感情を表す孫には、彼ら二人しかない世界の兆しが冒頭からすでに存在し、それに犬が加わりツールという目標が出来て、一つのまとまった小さな世界が生み出されている。主人の帰りを待つ間、いつものごとく定時の列車に吠えまくり、主人が帰ると制限重量に達するまで秤を一点見つめして自分の食事を待つ犬目線の描写からは、もう何年となく日々ルーティーンとして、彼らの世界を変わることなく続けてきている情景が浮かんでくる。一方で電車の中から吠える犬を見つめる「外の世界」の人々の視点がそれを示唆している。
そう、本作での犬はばあちゃんにイジられるよきパートナーとしてかなり強烈な個性を放っている。昨今犬は愛玩動物として、かわいらしさ、(何を間違ったかしらんが)賢さを売りにしているが、犬本来の愛嬌というのは本作で描かれた要素があればこそだ。つまり、愚鈍で、バカで、アホで、意地汚くて、カスッカスで、肛門丸出しでうろうろする、糞みたいな存在だからこそ愛らしいのである。
そしてもう一つの世界が例の3人組だ。自転車のホイールで音楽を奏でる事で、3人組に世界への介入を認められたばあちゃんから、見ている我々もばあちゃん越しに3人組の世界を覗くことができる。STOMPを彷彿とされる打楽器による音楽は非常に魅力的で、本作の見所の一つだ。すげーサントラ欲しくなるなあ。
セリフを省くことでの映像と音楽の融和、アニメのフル活用、思いがけずすごい映画を見てしまった。ほんと、素晴らしい。

ホテル・ルワンダ ★★★★☆

1994年、ルワンダで起きたフツ族によるツチ族への100万人大量虐殺の話。
1994年。・・・・・・・・・プレステとサターンの次世代ハード対決。おい、真っ先に思い出したのこれかよ。
当時日本で、「バーチャファイター(※IIではない。まだバーチャルファイターと呼ぶ奴がクラスに2人ぐらいたし)すげえ。ポリゴンってやつ?すげえーーーー!!!」とサターンっ子でいた頃、俺の全く知らないアフリカ中部の国では大量虐殺が行われていた。そしてその事実を知ったのが2004年。知らないのは罪だが「知っただけで行動しないなら無意味」と思い始めている今日この頃、改めてこのルワンダ大量虐殺について考えさせられ打ち拉がれた。これが事実であるという前提で本作を見ると、例えば平静を装いネクタイを締めようとしても手がふるえてムキーーーなシーン、生唾飲み込む音が自分でも聞こえるほど見てて緊張するし、キンタマが萎む思いがする。
そもそも大量虐殺の大元の原因は、ベルギーによる植民地化にある。産業革命後、イギリスとフランスを中心に、ヨーロッパ諸国が調子に乗って各地域でわけのわからん「植民地」というものをこさえていった。それに便乗したベルギーが目に付けたのが現在のルワンダだった。映画の冒頭で報道記者が発した「君は何族?君は?よくわかんねえな」という、気を抜くとスルーしそうな会話の中に原因が凝縮されている。
つまりこのベルギーによるフツ族・ツチ族の区分けというのは決して厳密なものではなく、理由があるとするなら、被支配者に対立構造を無理矢理作り出して支配者が管理しやすくするための便宜上の分類だったということだ。ちょうど日本の江戸時代に社会通念として存在していたという「士農工商穢非」のようなものである。結局ルワンダ独立後も、このわけのわからん民族分類は形(IDカードという形)だけ残り、結果形だけの部族対立、大量虐殺を招いてしまったのである。もしルワンダが単一民族国家だったら起こらなかったかもしれない。従って内戦であれども、この虐殺を止めさせるためベルギー軍・国連平和維持部隊が積極的に介入する動機付けは確かに存在した。
だがベルギー及び当時ルワンダに関与していたイタリア・フランス軍が選んだのは自国民の保護だけだったんだな~。映画中盤で象徴的なモチーフとして描かれる、「バスに乗り込む白人とそれを凝視する黒人」という構図は白黒の差別構造ではなく、今なお残る植民地システムの象徴というのがせづなすぎる。大佐がポールに語った「君はニグロですらない。アフリカンなんだ。」というのも本作では強烈なメッセージとして発せられたシーンだ。
国連の平和維持部隊てのも有事下ではかなり微妙な存在だ。平和維持活動(Peace Keeping Operation)を実行する軍隊の名の通り、武器を携行しているにも関わらず、権限としては「平和維持」しかできない。つまり現時点で見かけ上平和であれば、有事に対する予防策や積極的な武力行使ができないということになる。実際フツ族の暴動についての事前リークがあったにも関わらず、権限的にはスルーしかできないということだったし、これは確かコソボ・ボスニア紛争でも問題になったと思うが、すげえ微妙な軍隊だ。
ただなあーーー。これはこういうノンフィクションな映画を見るとよく感じる思いなんだが、で、結局、俺は何ができるのだろうかと。映画の中でもあったように、「へえ~かわいそうだね~」と思いながら晩飯喰うしかねえのかと、やっぱ思うわけですよね。それに実際問題、これは過去のことだからどうしようもないじゃねえのとかそういう事でもない。現に民族・宗教対立は世界中で頻発しているし、大量虐殺にしたってイラク・北朝鮮・中国・スーダンでは今の、まさに今のリアルタイムで発生している事実としてあるのだ。これに果たして俺はコミットできるのか?環境問題の「レジ袋いりません」所の意思表示じゃねえんだって。そんなもん霞んでしまうほど、まさに今さ、ぼこぼこ人死んでんだろうよって。わからん。こればっかりは答えが見えん。「日本が安全ならそれで構わんじゃねえか」の答えももちろんある。ただ、俺自身はそこを何とかしたい。

ALWAYS 三丁目の夕日 ☆☆☆☆☆

昭和33年頃の東京の話。
本作が2006年の日本アカデミー賞でアホほど受賞し、相当な評価を受けた作品であることは知っていた。また原作の方は高校時代オリジナルを購読していた時、その当時なんやったかな、「龍」「MONSTER」「浮浪雲」「玄人のひとりごと」あたりを読むついでに読んでいたので、あの独特な絵柄で戦後初期を描いた作品であることは知っていた。だから今更なぜ、こんなどストレートなノスタルジック話が評価されるのだろうかと、見る前はその点非常に興味深かった。映画なりの表現方法で、印象深いシーンでもあるのだろうと。
まず冒頭の集団就職シーンからなんだな引っかかりは。(恐らく)東北地方のど田舎から上野にやって来た女学生が、あんな堀北真希のように薄化粧をしたかわいい美少女なわけ、ないだろうが。この時点で「あーこれ系か」と見るモチベーションが相当低下した。仮にあの少女が(最後まで関わる重要な役だが)、ええーーーと今なら誰かな、、、要するにドブス、例えば森三中の村上だったら(年齢的に問題あるな)俺はこの映画のツカミとして相当モチベーションが高まっただろう。「お~エグい!リアルだな~。」とね。
うん、俺にとって情報でしか知らない昭和33年というものはこんなものではないんだ。確かにこういう面もあったろう。物質的に豊かでないがために、豊かさを求めて前進していただろうし、物質が家にやって来た時の情熱はすごかっただろうし(俺の父親も町で一番にテレビが来た家だったらしく、その話はよくする。それぐらい衝撃的だったのだろう。)、近所付き合いも頻繁だったかもしれない。だがもちろんこの理想郷には裏がある。例えば夏はエアコンがないので死ぬ。日本は下水道の整備が遅々として進まなかったので、水洗便所の普及も遅く、家々の夏のトイレは絶対地獄だったはず。さらにボットンだと誤って落ちたりもしただろう。確かに近所付き合いは頻繁だが、その分関係を失った「村八分」状態も存在する。家での会話に近所の人々のうわさ話が入ってくる。現代でも、保守的など田舎の街で生活してみるとわかるはずだ。こんなもんの、どこがいいんだろうか。物質的に豊かになった結果、「物質的豊かさ」を渇望していた時代が良く見えるなんて皮肉な話じゃないか。俺はある程度物質的に豊かな現代を受け入れるし、近所と付き合わなくても問題なく生活できる現代社会ってのは、素晴らしいことだと感じる。要は、コミュニティへの参加を決めるのも自分次第ってことだから。
ストーリーを見てみると、各々のトピックも今やモジュール化されて最早コントの前フリ設定でしか使われないような、見ていてこっ恥ずかしくなるような猿芝居の連続。これが支持されたんだから世の中すげえな。よっぽど70年代の石立鉄男系ホームドラマ、「パパと呼ばないで」や「雑居時代」の方が感情移入できる。試しにこれ、月9とかで当時のをデジタル利マスターして再放送すると意外といけんじゃねえのか。
それになー、これが評価されんのであれば、じゃあ数年前にこういう事象(大人がノスタルジックにやられてしまう)を描いた「オトナ帝国」はもっと評価されていいよ。つーか、これで感動した人には「オトナ帝国」も見て欲しいね。それこそ入れ食い状態で感動するだろう。
見終わった率直な感想としては、これが賞として評価され、また見に行った多くの人々から「感動した」「懐かしかった」などの好評価を得ていると、見るに付け、ああ俺やっぱ、これはもう間違いなく、完っっっっっ全なる事実として、マイノリティ側の人間なのだなあと、これはかつて「ゴーストワールド」などのマイノリティ共感映画でも思い知らされた事を、マジョリティ共感映画で反面的に知らされるという手の込んだやり口で、思い知らされたのだった。その昔思春期頃は、この常にマイノリティ側に居てしまうという性格を、なんだかアウトローな感じでクールであると、そういう美意識は格好良いと感じて、ある意味マジョリティにすんなり身を委ねられる人々を蔑視していたのだが、今はもうはっきりと分かる。「俺はマイノリティである。」という事実!そこにはもう蔑視などなく、ただただ、そういう事実のみが存在している!それを否応なくリマインドさせられた2時間弱だった。
「あいつらは馬鹿だ。こんなもんで感動できるなんてお前、相当お手軽な感情なんだなあ。その頭空っぽ加減は最高にうらやましいぞ。」とかもう言う気は更々無い。これで感動できるのであれば、つーかマジョリティが感動しているんだから、それはそれで本作の役割は達成されているし、需給バランスもそこで成立してるわけだから、こっち側からどうこういう事でもない。つまり結論としては、「こんなもんを面白半分に見た俺が悪い。」ということになる。あいすいやせん。

大日本人 ★★★☆☆

電流ショックで巨大化し、獣を倒すヒーロー、大佐藤(六代目)の話。
企画構想5年、総製作費10億円、監督・脚本・主演、松本人志。運良く思春期に「ごっつええ感じ」に出会い、ダウンタウンとその周辺の信者になってから約10年、ついにこれが、このときが来たと、映画見る前は実際かなり緊張していた。見る方が緊張なんて馬鹿げた話だが、本当にそうだったんだよなあ。
ゴールデン単発スペシャル番組「ものごっつええ感じ」が意外なまでに低視聴率で、一般にダウンタウンの笑いが受け入れられないと分かってから、松本の「映画を作る」「結局、映画でしかやれない」のような発言は頻発するようになっていた。それはつまり、松本(ダウンタウン)の笑いがマスに指向しておらず、皆が皆一斉に笑うというよりも、表現的に際どかったり、一見分かりにくいが発想を巡らすとジワジワ笑けてきたり、「松本VS多」ではなく「松本VS個」というミニマルな笑いの追求に注がれるという事なのかと、はじめは思っていた。が蓋を開けての「10億円」。日本映画にしては大規模な予算となると、商業ベースにのせるために、ある程度マスに寄っていかないといけなくなる。この辺の塩梅がどうなのか、信者としてどう受け止めるのだろうかと、そういう緊張のような気がしていた。
映画は中盤まで、コメディーというよりドキュメンタリー映画のような作り方をされている。大佐藤の事について、周辺に印象を聞いてみたり、本人の本音(大日本人としての本音)について核心を突いて探りを入れたりと、序盤~中盤はドキュメンタリーの手法そのもの。しかもあからさまに低予算なやつだ。セリフも冗長だったり、噛んでいたりと、妙に生々しい。これは絶対意識してる。だから、この映画は現実の日本ではなく、もうひとつのパラレルな日本、「大日本人」という種が存在するもうひとつの現実(便宜上向こう側としよう)の生態を、こっち側の日本でドキュメンタリー(低予算、てのが大佐藤の現状を示唆している)として見るという、そういう認識は必要なんだな。向こう側では「大日本人」の存在は全くおかしな事ではないし、それにつながる数々の事柄というのは別に面白いことでもなんでもないんだ。「そんな風に発想するお前が一番面白くない」という事についてはこの際置いとこう。俺はこう感じたんだから。だからこういうの映画館で見るの嫌なんだよなあ~。隣の隣の野郎、馬鹿みてえに素っ頓狂な高い声で序盤から馬鹿笑いしやがってテメエ、お前がおもんないんじゃ。
ついでに書くと、公開直前まではDVDまで待とうと決めていた。前述の通り、「松本VS個」の環境を作りたかったし。しかしほんとの直前一週間ぐらいでやたら映画監督・松本の露出が高まり、松本自身は「見てもらうしかない」という姿勢を貫いて事前情報をなるべく少なくしていたが、それでも周辺から発信されてしまう。元来俺は映画の事前情報をできるだけ排除して、ニュートラルなポジションで映画を見る方だし、ましてや松本作品となると、その思いは尚強くなる。このままDVDまで待ったとして、ネタバレを防ぐのは困難だろうと判断し、それなら早いほうが良かろうということで早速見に行ったわけだ。
で、向こう側ではなんか知らんが、たま~に獣(じゅう)という、なんつーかな、大日本人と戦うぐらいのサイズの、異形の生き物が出てきて、大佐藤はそれを倒すのが仕事らしい。こういう設定どっかで昔見たね。そう、エヴァンゲリオンなんだなあ。ヒーロー物によくある設定、例えば「地球を征服しようと画策した○○星人が、たまたま日本を標的にして色々攻撃をすると。でそれを阻止するべくなんたら防衛隊が存在し、最終的に■■マンが○○星人を倒すと。」、大日本人の世界もエヴァの世界も、これに当てはまらないというのが共通している。利害関係ゆえの対立構造ではないんだな。たまたまなぜか巨大な異形の生物(?)が存在し、それが地球にとって害を与えているため、それを取り除く存在がたまたま居ると。エヴァではざっくり言うと自分の内面と戦うために使徒と戦っていたし、大佐藤は、当面の算段として「月給80万」のために獣と戦っていると思われる。あと、四代目への忠誠心もか。
「獣と対決していく」というフォーマットが定まってからは、ドキュメンタリーもより強く、大佐藤という人間の心の葛藤に迫るようになり、ついに「中村雅俊」でこっち側で見ている奴らも大佐藤の世界に感情移入させようとしてきた。居酒屋での帰り際、「馬鹿いってんじゃないよ~、大日本人だよ。」の部分はストーリー上のクライマックスだろう。ある意味、ストーリーとしてはここで終わりなのかもしれない。そう、この映画は、見栄っ張りで、馬鹿で、酔っぱらうと調子に乗っちゃうけど、妙に律儀な、たまたま巨大化してしまう一人のおっさんの、大日本人としての美意識を主題とした話なんだよなあ。
そして突然の寸断!「ここからは実写うんぬん・・・・」の後の展開、そしてそのまま唐突なエンディングを迎え、それまで笑っていた隣の隣の素っ頓狂もあっけにとられたように口をつぐんでしまった。横にいた女3人、前のカップルも、突然の展開にわけがわからない感じになっていた。俺も最初「なんじゃこりゃ」だった。で、こっからは俺の捉え方なんだが、あれはつまり「アメリカにいる大アメリカ人」なんだろうな。あの最後の獣に関しては、外国から来たと言っていたし。大アメリカ人の登場後の展開はさすが、長年コントを作り続けてきた集団だもんで、一般的なヒーロー像を逆手に取ったコントそのまんま。実写にしたのも、純粋なコントとしての間の取り方とか空気感を出すためだろうか。あれCGのままだと想像すると厳しいもんな~。まあ、松本が作る映画だから、オチはコントでも問題なかろう。
CGのクオリティとか、どこが面白いとか、あれはああだから面白いとか、そんなんは人それぞれだからどうでもいい。もちろん出オチや、前フリがあってそれに忠実にボケるという笑いも結構多いが(ほんと、結構多いのでびっくりしたのだが)、この世界観全体はなんとなく「システムキッチン」を彷彿とさせ、それこそ見るたびに笑ってしまうポイントも変わることだろう。世界観はそれぐらい懐深いとは思った。
ただフラットに見て、ダウンタウン信者ではない一般の人にこれを勧められるかというと、俺はそう思わない。イタい選民思想とかではなく、基本的にダウンタウンの笑いについてウェルカムでないと、序盤~中盤の長い長~い「大日本人」世界観の植え付け作業が非常にしんどいだろうし、一旦そこで心の扉を閉ざしてしまうとベタな笑いもベタが故に笑えなくなるし、結局何がどう面白いのか、面白くしようとしてるのかわけわからずこんがらがるだろう。もしかすると一般の人は、「おもしろまっちゃんの作る、爆笑コメディ」を前提に見に行ってるかもしれんしな。さらにシビアなテーマとしては、プレ大日本人という意味での「Zassa」(PPV300円のインターネット有料コント)に続く、無料の地上波とは違う「1,800円払うのにふさわしいか。今ならん~~~~、、パイレーツオブカリビアン3と比べてどうなのか?」とか、そういうレベルでの話だ。
最後、総合評価について。ストーリー映画としてはおもしろかった。笑いについて個人的に初見では、大笑い(声が出てしまう)は一回も無し。基本含み笑い。まー松本のコントは含み笑いだよなあ。最後のコントは常時フフフ・・・・ぐらいかな。なんか気持ち悪いな。これはもちろん先入観、もっとすげえの、何か刺激的なのを提供してくれるだろうという思いこみが強すぎたから。信者なもんで。それとマスに寄った分、海原はるか師匠で瞬発的な笑いを取りに行ったり、後々まで作品として残るであろう映画に原西のギャグ(今流行のギャグ)を入れてみたり、こっち側と向こう側を繋げてしまう要素が散見されて純度が低下したのもマイナスポイント。これは松本どうこうではなく、マスとのバランスを考えた役割の人が介入したのだろう。それもまた大作のゆえんだ。
これが監督一作目、になって欲しい。カンヌで世界の35人(32人かも)に選ばれたビートたけしも、図らずも監督デビューとなった「その男、凶暴につき」で荒削りな自分の色を見せたし、その後「みんなやってるか」「8×3=9月(絶対違うけどこんな感じのタイトル名)」とか、自分で自分を殺しかねない犠牲を出しながら、「ソナチネ」のスタンスに到り、「HANA-BI」で評価されたわけだから。とにかくコントの拡大バージョンでもないし、凡庸なストーリー作品でもないし、スタートとしては最高だろう。★5は後々に取っておこう。

ロスト・イン・トランスレーション ★★★★★

アメリカから日本にやってきた男と女が、日本に色々違和感を持ち、若干恋愛する話。
まず内容は置いといて、スカーレット・ヨハンソンと言えば「ゴースト・ワールド」でのソーラ・バーチの完全なる引き立て役で、控えめで目立たない印象しかなかったのだが、なんか知らんが本作で主演女優だったり、ハリウッドが一応本腰入れてる「アイランド」でユアン・マクレガーと同格扱いだったり、いつのまにか大物女優になってた。個人的には断然ソーラ・バーチなんだがなあ。いやデブ専じゃないよ。
「翻訳の中で(過程で)喪失」。オレはこう解釈する。一つは単純に、アメリカ人が日本に来てみてアメリカ人目線でのおかしな点や不便さや、逆に新しい感動であったり発見・認識をするという、異文化に直に触れてみての再構築を意味しているのだろう。つまりこれまで抱いていたであろう漠然とした「日本観」を喪失し、実際自分が触れた印象と置き換わる。なにも字面そのままに「言語の違い」という点だけでなく、もちろん言語障壁が一番大きなものなのだが、これは伝統文化や現代日本の(日本人のオレでさえ感じるような)違和感も含めた事だと思う。もう一つは、これはストーリーと直結しているが、異文化にやってきて自己喪失感を感じた時に、似た者同士が恋愛感情を持ってしまうという話だ。
つまりこの映画はまずおそらく監督のソフィア・コッポラが実際昔日本に来た時に感じたであろう異文化感覚を何かに書いていたり、思い出したりしてそれをとにかく散りばめたということ、そしてそれだけでは単にドキュメンタリーになっちまうもんで、そういう感覚を感じたという設定の男女を置き、とりあえずまあ恋愛話にしてやっつけた?のか?まー実際問題そのへんのウェイトの置き方はわからんが、殊日本人がこの映画を見ると外国人目線の異文化認識という、「自国文化の逆輸入」が起こっていて、その点だけでもかなり楽しめると思う。
具体的に覚えてるのでそうだな、ゲーセンは個人的に印象深い。あんなにやかましいのに各自が勝って気ままに楽しんでいて、その「場」に対してなんの違和感ももっていない。オレも実際小学校高学年ぐらいからビデオゲームをゲーセンでよくやっていたので、完全にその感覚は麻痺していた。これは軽く衝撃的な再認識だった。あと選挙カー。あんなもんは日本人の多数が違和感もってるのに、アメリカ人にとってはそりゃインパクトある光景だろうなあ。
一方で、日本の伝統文化的な行事や日常のあり方での「美意識」ともいえるものが、伝わる人には伝わっているという事が素直に嬉しかった。つまりこの人は端から拒絶する気は無く受け入れる度量があるというのが、ニュートラルな視点を保っているという証だ。
ストーリーもやっつけた割には?よくできてんじゃなかろうか。出会いから発展の過程も自然ではあるし、距離のとり方も「いかにも演劇」な展開ではなくすんなり入り込める。
異文化交流は、この映画でも分かるとおりまず言語の障壁があり、次に文化そのものの隔たりがあるので、概してめんどいししんどい。ただその先にある文化のミックス行為というか、生の異文化体験は間違いなくスリリングだし、一歩踏み出せば自分にもその返りがあるだろうから、なるべく積極的にやっていきたいもんだ。

10ミニッツ・オールダー/イデアの森 ★★★★★(企画意図を買った)

8人の監督が「時間」をテーマに10分・予算同額で製作した8つの短編映画。
1.水の寓話 監督:ベルナルド・ベルトルッチ
水汲みを頼まれた男がトリップする話。
途中からオチは見えたが、それを前提に野郎が色々やってる間もずっとあのじいさんが待ち続けているということを想像しながら見るとなかなか面白い。でもなんか腑に落ちんというか、SFチックに仕立ててごまかした感じでせこい印象がある。
2.時代X4 監督:マイク・フィギス
全体的に暗い画面構成でしかも4分割ちゅうのはあまりにもオナニー過ぎて、正直見る気なくすし理解する気もおこらんし、パス。
3.老優の一瞬 監督:イジー・メンツェル
ある俳優の歴史を10分で振り返る。だけ。そこらのじいさんにもそれぞれにでっけえ歴史があんだぞっちゅうことか?
4.10分後 監督:イシュトヴァン・サボー
オーソドックスなショートフィルム。異国語を学習していて10分後には肉親殺しになってしまう。10分でも全く思いがけない事が起こってしまうということか?
5.ジャン=リュック・ナンシーとの対話 監督:クレール・ドゥニ
たまたま列車の向かいに座った?禅問答が好きそうな二人の濃密な会話と、対照的に景色を見ながら素早く過ぎ去る同じ10分間。それほど10分というものは人によって生き方を変える(振り返る)きっかけにもなれば、無意味に過ぎ去る極短い時間であるということだろう。
あるいは人によって10分の楽しみ方は色々あるよ、ということかもしれん。
6.啓示されし者 監督:フォルカー・シュレンドルフ
蚊を尺度にして過去・現在・未来を現在の地点から鑑みようとしているぽい話。つまり色々説明があるんだが、人間の行動も過去の「記憶」と、現在における過去の「記憶」を元にした行動(映画中では「注意」となっている)、そしてその現在の積み重ねである未来を描いている。
例えば蚊を避けようとする行動は過去の経験からくるものだし、実際そこから導く行動(手で蚊を追い払う)を実行するのは現在、そしてその行動が及びも着かない「死」に繋がっているかもしれないという未来、一見家族バーベキューを映し出したなんのことはない映像だが、こうやって時間の流れの3区分を意識しながら改めて見てみると時間に対する様々な発見があっておもしろい。
と同時に、今この行動は3区分のいずれに位置しているだろう、とか、そもそもこれを見ている俺はどういう時間区分に所属しているのだろうとかだんだんこんがらがっていい感じにトリップできる。そして最後の脚注が決定的。紀元前からやっぱ人間はこんなどうでもいいし本源的な悩みを抱き、行動してたんだなあとなんだかほっとしてしまう。
7.星に魅せられて 監督:マイケル・ラドフォード
時間旅行から戻ってきたら、自分の子供が老人になってた。
8.時間の闇の中で 監督:ジャン = リュック・ゴダール
しんどくなって見るのやめた。
以上。最後はテーマの深遠さに辟易してうんざり、って感じで途中放棄。人生のメビウスが、時間と人間そのもののかかわり方を扱っていて、ドキュメンタリーだったりドラマ仕立てだったり観念的なものだったりと色々楽しめたが、イデアの森は時間という概念そのものがテーマになっているので、全体的には意味深でわかりずらい内容のものが多かった気がする。その分、映画を見ながら自分もトリップしてしまうことがたびたび。たまにはこういう短編集も見るとおもろい。

ブラッド・ワーク ★★★★☆

心臓移植を受けた元FBIの有名捜査官が、ドナーの心臓が殺人により提供されたことを知り、犯人を捜す話。
一番身近にいる奴が一番怪しいというのはシリアス・サスペンス系の古来からの常套手段で、今回もその線で行くならばまさに依頼を持ってきた姉貴か、手伝わされるハメになったボートの隣人かということなんだが、本作はその王道を突っ走ってくれたということで、その点どんなひねくれ者や正直者が見てもおもしろさに安定感があることは保証できる。つまり、犯人追及モノで最重要の「あいつか~」感がクライマックスにおいてかなりいい感じに消化されるからだ。
また本作は現役の頃FBI捜査官として大きな仕事を扱っていたという事と、殺された妹の心臓を提供されているという血のつながりの様なものが対比してあって、彼が真犯人探しに異常な執念を燃やしているのも納得できるし、仕事以上の運命めいた何かで行動しているという点で共感できる。だからして、全体を通して描かれる驚異的な犯人追及までの「御都合」に関しては、血と血が結びつけた何か得体の知れないパワーがそうさせたと思って見ると意外におもしろい。
例えば件の殺人が起こったスーパー?から出た後で、異常なまでの嗅覚で犯人と何らかの関係のある車を見つけてショットガンをぶっ放したのは、これがもし単なるFBI捜査官であれば「そんなわけねーよ」と一気に醒めてしまうところが、本作では「妹の怨念+妹を供養したい人間の執念」があの車を見つけさせたのだと取ることもできる。
あとはまあ、設定からもわかるようにもう「おじいさん」と言っても差し支えない巨匠クリント・イーストウッドが、がっつりとはいかないまでもガンアクションに挑戦しているというのはすばらしい。志村けんが「だいじょぶだあ」は無理でも深夜に「変おじTV」(定期的に名前が変わっているぽいので今はどうなってるかわからんが)をやってるのとちょっと似てる。こういうじいさんはいいね。

10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス ★★★★★(企画意図を買った)

7人の監督が「時間」をテーマに10分・予算同額で製作した7つの短編映画。ちなみにこの中の監督の映画を見たことは無く、名前だけ知ってるのがジム・ジャームッシュとヴィム・ヴェンダース。
1.監督:アキ・カウリスマキ テーマ:結婚
10分で結婚を決めたらしいが、石油を掘りにシベリアに行くから決断をするという以外は動機付けが不明。唐突にバックバンドに時間割いたり、バーテンの目線が熱かったり、最後の落ちも「あっそう」、これ10分は無理あったんじゃなかろうか。
2.監督:ビクトル・エリセ テーマ:生死
これも微妙だなあ。生後間もない赤ちゃんの生死を軸に、各世代の人間がそれを見守っているという事で時間の幅を表現しているんだが、正直よくわからん。ぼんやりしすぎ。
3.監督:ヴェルナー・ヘルツォグ テーマ:未開の住人
上二つのテーマは抽象的だったが今度はがらっと変わってドキュメンタリータッチ。冒頭から説明文で始まるのは超短編映画ではアリな方法だろう。未開の原住民が現代の文明に出会って、石器時代から現代へ一気に移り変わった状況について描いている。時間的には数千年の隔たりを数十年でなんとかしてしまうのは人間の柔軟性だろうが、すべてを飲み込めていない状態でTシャツやキャップをかぶっている姿はやはり異様だ。
4.監督:ジム・ジャームッシュ テーマ:女優のブレイクタイム
女優の休憩時間10分の出来事を映してるだけ。ほんとそれだけ。「休憩」といいつつ全然休んでねえじゃねえかということか?
5.監督:ヴィム・ヴェンダース テーマ:緊急時の10分は超長い
間違って大量のドラッグを摂取してしまった男が病院を求めて徘徊する話。自分自身ドラッグの経験はないが、たとえばこれを猛烈にうんこがしたくなって家路を急ぐ10分と置き換えると、そのスリリングな展開や自分自身吹っ切れて絶叫したりいろんな幻覚が見えたり、あるものがものすごいスローモーションに見えたりするといった、いわゆる「トリップ感覚」はすごいわかる。なおかつこれは生死のかかったドラッグの大量摂取。10分でハラハラドキドキとスリルと最後に笑いを盛り込んだのはすばらしい。
6.監督:スパイク・リー テーマ:ゴアVSブッシュ
「未開の住人」と同様ドキュメンタリータッチ。こちらはゴア陣営のスタッフの証言から当時も問題となった大統領選挙の内幕について描いている。でもこれってヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネルがやるべきことで、別に映画でやる必要は無いよなあ。
7.監督:チェン・カイコー テーマ:昔あった街並み
今中国は臨海地域の経済繁栄期で、冒頭に象徴的に映し出された超高層マンションがいたるところにできてそれが飛ぶように売れるらしい。たぶんこの監督さんは中国人で、そういう過去の遺産をぶっ壊し高層マンションに移行していく現在の中国を皮肉っているように感じた。
以上。中では「緊急時の10分は超長い」が一番面白かった。いわゆる映画通は1・2・4あたりを好むと思う。自分のようなハリウッド中心系は5・7。ドキュメンタリーが3・6て感じかな。ドキュメンタリーは映画でやる意味ないような気がする。いずれにしろ、こういう企画というのはそれそのものが面白いので、もっとやりゃあいいのにな。

サハラに舞う羽根 ★★★★☆

サハラ砂漠へ出兵直前に除隊した英国軍人ハリーが、4枚の羽根を返しに行く話。
当時羽根を送られるということは臆病者の証だという説明が冒頭にあったし、またハリーのような英国軍人はそんなにも誇りを重んじるのかというのもあるが、まずこのハリーの超人ぶりがよくわかんない。絶頂期のマルコ・ファンバステンそっくりだった顔もアリ・カリミに変貌し、このような怨念めいた羽根に対するこだわりがあるのならば、なら最初から出兵しておこうぜと正直思う。
一見メインは羽根を介しての友情の確認がテーマなんだろうが、やっぱこの映画で一番漢を上げたのは素性のよくわからんアブーだろう。彼のパワフルさが無ければ収容所脱走もかなわなかったし、どっから来るのか知らんがうまいことハリーを助けてくれる。
あと当時の奴隷の扱い方について、これほど具体的に描いた映画も少ないだろう。ギュウギュウ状態での立ち寝、死んでも放置、メシは一定量を毎回奪い合いなど、まさに隷属するべき人々として、ひどい話だが適切に描いてあった。うん、まだメディアのようなものが存在しない時代は、女は身分の貴賤無く当然のように犯され、男はあのような処遇で強制労働やったんだろうなあ。昔ってすげえ。

ディープ・コア2002 ☆☆☆☆☆

地球のプレートが地下核実験の影響で動き出し、気温の上昇で人類が死滅するのを防ぐため、「行って来い」の感覚で核爆発を起こしそれを止めようとする話。
ランダムレンタルのハズレもハズレ、大ハズレ。ストーリーや演技などはどうでもいいので、ツッコミ所満載で、それを列挙するだけにしておこう。
・主役がGOグループの大神源太に激似
・大統領がオーラなさすぎ、あの面だと良くて係長代理
・演技がやたら大袈裟・舞台のような取って付けたセリフの連発
・人類滅亡を背負い込んでる特殊チームの割に、ノリがめちゃんこ軽い
・一人だけ反発する奴は将軍側が送り込んだ刺客で、なにか陰謀があるのかと思わせつつ結局無い→じゃああいつのいる意味は?予算切れor脚本家夜逃げでそのネタを仕込めなかったのか??
・娘を監禁した奴が意味不明
・おまえ娘助ける時銃乱射しすぎand特殊部隊の隊長ならば敵が他にいないか確認すべきandてめえ銃の扱いが雑すぎ よくそれで大佐になれたな
・女ブスすぎ
・ラストの飛行機は無茶あり 他の映画だとひどい部分だろうが、正直この映画ではかすむほど全体がクソ
・とどのつまり、馬鹿ばっかでどうしようもない
以上。