イグジステンズ ★☆☆☆☆

天才ゲームデザイナーが命を狙われるが、死なずに話が進む話。
結構前からハリウッド映画を見てきた。つーか日本で広く流通している映画はついこの間まで日本映画かハリウッド映画しかなかったために、自ずと映画見るなら外人が大袈裟に芝居やってるハリウッド映画という環境が構築されていたわけだが、そのハリウッド映画によくある方法で「なんかよくわからんけど物語の都合上、こうなってしまったからこうせざるを得ない」的なストーリー進行方法が用いられることがある。これは何もハリウッド映画だけでなく、そこらへんのテレビドラマや、アニメや、漫画にも多く登場するが、とりわけ「メチャクチャ金あんのに結局それかよ」という印象が強くなるのがハリウッド映画システムなわけで。
要するに話に違和感が残ってしまうのよねどうしても。おまえそこ無理矢理つじつま合わせようとしてねえか?と感じる場面が多く、今選挙カーがうわー行ってるが、その「お騒がせしてすいません自民党の公認候補山田山田男です。」てのと変わんない。
あとこの映画自体がRPGゲームを意識した作りになっているので、敢えてそういう臭いを強調させたのかもしれないが、自分自身RPGは苦手なもので、こういうベタな進行にうんざりしたというのもある。
監督はザ・フライなんかで有名な人らしいが、昔のようにテクノロジーにあこがれのあった時代ならいざしらず、現代のようなCG全盛時代に、CGでさえダメなんだから作り物のグロ映像なんか見せられてもなんとも思わんのが正直なところ。
こいつら金かけてこんなどうでもいいことやってんのかよという感覚を、映画全体を通して意識しながら見てみると、意外に笑える部分も多いかもしれない。最後の方でかわいい姉ちゃんが青い変なのを頭に付けてるとことか。

ターミネーター3 ★★☆☆☆

ダダスダスダダス その3。
いっぺん整理しよう。
パート1
後の人類の指導者であるジュニオール(仮名)の母親を殺害する目的でターミネーターが現代に送り込まれた話。人間VSターミネーター。
パート2
ジュニオールを殺すために送り込まれた新型ターミネーターと、その殺害を阻止するために人類側が送り込んだターミネーターとの戦い。ややこしいのが、シュワルツネッガーはパート1では敵だったくせに2だと味方になっているところ。
パート3(今回)
大人になって堕落していたジュニオールを狙う女新型ターミネーターと、その殺害を阻止するために人類側が送り込んだターミネーターとの戦い。ややこしいのが、2も3も味方のターミネーターはシュワルツネッガーだが中身が違うということ。
ターミネーターシリーズは一応2で頂点を極めたんだろう。当時としては液化金属のようなものを表現するためにCGを用いたのは斬新だったし、まずそのビジュアル的な凄さに驚かされたものだった。またガンズのYou could be mineがテーマ曲として使われていたのも個人的には印象深い。たしかこのすぐ後ぐらいに3話が立ち上がり、立ち上がっては消えを繰り返してついに出来上がったのが約10年後。テクノロジーも進歩し2の頃の熱も冷め、はっきり言ってこれは完全にタイミングを逃した作品である。
さらに、ぶっ壊しシーンに金を使いすぎたのかどうだか、シュワルツネッガー以外の配役がなんかショボい。そこらへんのうんこを拾って集めてきた感じで、どうもうんこだ。
要するに、ターミネーターシリーズの続編としてみるとうんこなんだ。普通の映画として見ると、というか続編である以上普通の基準で見るのは無理なのでやっぱりうんこ。

マイ・レフトフット ★★★★☆

生まれながらの脳性麻痺で左足がかろうじて動く感じのクリスティ・ブラウンの人生を描いた話。
わしが通った小学校では障害者学級があって、子供の頃はデリカシーなんてものは存在しないから今思えば随分ひどいことをやっていた。言葉の暴力なんて技も知らないガキの分際では、よくちんちんを見せてもらったりしていた。正直変態だが、子供の頃他人のちんちんを見るという行為は文句なしに面白かったのである。よって障害を持つ子供に対していじめを行っている感覚など無く、なんとなく面白いなあって感じでちんちんをよく見ていた。
障害を持つ人に対して変に過保護になったり、また別ベクトルで蔑んだりマイナスの視点から見るというのは、もともと過保護オンリーでこれまでやってきた障害を持つ人ならばともかく、上記のように親さんの考えで障害を持たない子供と同じように育てて行くという方針でやってきた人にとってはそれはもう、うっとおしいことこの上ないだろう。もちろん社会的な障害者に対する援助(バリアフリーってやつだ)はありがたいだろうが、ヘタに聖人君子的な視点で、あるいは生まれながらマイナスの宿命を負ったという視点で見られると、それだけでも相当のプレッシャーとなると思う。
クリスティもまた兄弟と同じように育てられ、ふつうに育っていったが、やはりいわゆる反抗期で少し面倒な事になってしまった。以前「ザ・ノンフィクション」かなんかで見たのだけれども、クリスティと同じような部分麻痺の若者がデリヘルを呼ぶシーンがすごく印象的だった。なんとなく障害者を純真無垢な感じで見てしまいがちだが、普通に育てば当然性欲もあるだろうし、それなりに精神的な葛藤もあるだろうし、それはデリヘルの若者であれクリスティであれ、自分であれ同じであろうと。
なにしろクリスティに対する家族や社会の関わり方がよかった。母子の描き方もいいね。

ブルー・ベルベット ★★★☆☆

お見舞いの帰りに人間の耳を見つけた(←この時点でやばい)男がえんやこらする話。
あんまり人間の耳は見つけることはないですよね。でもその点がこの映画ではというかデビッドリンチの場合ありきにしてしまうので、そりゃぐにゃあ~とはなってしまう。
そうこれ、たとえば耳みっけてガー叫んだりおーこわおーこわとか、俺様は一平和を好む市民でありたい、どっちかいえばあり続けたいみたいな姿勢は放棄して、望むべく異常な方向へ主人公が突き進んでしまうのであります。これはまことにおかしな事で、通常人間は耳を見つけた場合、まずスルーするという人、これが大体6割、次に素直に警察になんか言う人、これが3割、後1割は食べたり、自分用に取っておいたりするという予測できない行動パターンを醸し出すはずであるが、この主人公はまず3割の部分に属することで日常から異常に踏み込んでいくときの明確な境界がわかりにくいというナイスな演出がなされているようです。
とこのように、リンチの映画を見たら上記のようなぐにゃあとした文も書けてしまうわけですね。怖いですねー

WXIII PATLABOR THE MOVIE 3 ★★★★☆

東京湾界隈での連続殺人事件を解明するため二人の刑事がうろうろする話。
一作目の主人公はレイバー隊員の遊馬、二作目の主人公はレイバー部隊の隊長後藤、そして三作目は・・・・刑事二人。はじめはパトレイバーについてなんも知らん俺でも一・二作と見るうちに大体ポジションは掴めたわけで、それこそ二作目の後藤はいい感じだったし、今回はどうなのかと見てみるとレイバー部隊はほとんど登場しない。特に前半はチラッと登場するだけなので、こういう脚本でこういう映画を作りたいとなった時にあまりにも地味だから「これじゃスポンサーもなくて予算も取れねえし、じゃあパトレイバーで企画通すか」みたいなことなのかなあとしばらくは拍子抜けだった。
ただ前2作がそうであったように、脚本・演出のクオリティはかなり高い。一々ディティールに拘ることができるのは映画のなせる技だし、地味だと書いたがハードボイルドの魅せ方って地味を淡々と描いて緊張感を持続させるのが本道。見てワーキャー騒ぐものでもなく、じっくり堪能する感じ。
冒頭の船のシーンからそうであるように、示唆に富んだ会話の内容・仕草などが後々効いてきてつながっていくところなんかは、ただボーっと物語を追うのではなく能動的に映画を見る姿勢ができてだれることはない。その時は何気ないアイテムだけど後々わかってくる構成がよく、説明シーンを大幅に無くしてある。それも、言葉のニュアンスより映像のニュアンスを重視した方法をとっている。
正直この映画ではパトレイバーの連中及びレイバーはかなり違和感がある。怪物についてはまだ冴子との繋がりでこの世界観の範囲内に収まってるのだが、なーんか、体裁を整えるために突然パトレイバーを引っ張ってくる感じがする。
あと意外に大事なのかもしれんが、たぶん本作は押井守が関与していない(クレジットにでないし)。それ故パトレイバーとは離れた物語になってしまったのかも。
総括すると、脚本・演出は好きな部類。最後のダメぶりも好きな部類。ただ新旧刑事の描き方があまりに典型的で、かつこの内容でパトレイバーを冠するのは自分としてはそこは拘わりないのでどうでもいいが、この種の映画を映画館で気合入れて見ようとかいう人ってのは恐らくそこを一番拘わるんじゃないかなあということでマイナスポイントにしておきます。

シベリア超特急 ★★★☆☆

ドイツから満州へのシベリア超特急車内で起こる連続殺人事件を山下大将がズバッと解決。
この映画を見るのはこれで2回目で、一回目はどういう形だったか忘れたけど今思えば通常版だった。そして途中で耐えきれず見るのをやめてしまったんだねー。今回はそのリベンジ、特典映像付きの完全版である。やっぱこれ、完全版を見なければそれこそ完全に水野ワールドに突入したとは言えないってことがわかる。だって通常版では記憶が確かならば冒頭の伏線と最後のどんでん返しは端折られていたと思う。結局やりたいのってこれなんだから、そのための長~い劇中劇なんだから、これ完全版でないとダメだよね。
正直に書くと、あのどんでん返しのシーンでまあそのなんだ、ちょいとゾクゾクっと来たわけですよ。その瞬間こっ恥ずかしくなった。映画でやられた感を感じて瞬時に自分で自分に対して恥を知れ恥をな感じになってしまう映画って滅多にないし、それがこの映画を象徴しているんだと、妙に薄ら笑いながら納得してしまった。
仮にあのつっこみ所満載な演劇を、この羞恥プレイに行き着くための計算されたベタベタ具合だったとしたら・・・マイク水野、あなどれん。
そんなわけねえか。

アメリカンヒストリーX ★★★★☆

父親を黒人に殺され、ネオナチの白人至上思想にはまってしまったデレクと、その弟ダニーの重くせづねぇ話。
ラストのヤリ逃げはこの映画にして有り得る範囲のものだと思う。今まで散々やらかしておいて、そんなハッピーエンドて虫がよすぎるわね。ただそれにしてもやっぱこう、、重いよね・・・。
これが果たして人種差別故の出来事なのか、それは見えてこなかった。この映画のように「隣の黒人が黒人だからむかついてきた」といった単純なものではなく、アメリカ社会には歴史的に見ても未だ深い深い部分で人種差別が根付いていることだろう。たとえば詳しくは知らんが黒人の方が就業率が低かったり、犯罪者になる率が高かったりするのではないかと思う。この辺は基本的に単一民族国家である日本(朝鮮問題とかあるけど)に生まれ育ったというのも影響しているかもしれない。
なのでどちらかと言えば、思春期やっっちゃった物語の側面が強く感じられたのである。例えば自分の場合高校の頃、「あいつスカしとるな」という理由で不良の人に便所に呼び出しくらいリンチを受けるという光景が、特に年度初めぐらいによくわかんねえ勢力争いの余波で散見された。当時自分はスカしてなかったので(今もか)ボコられることはなかったが、確かに何十人単位でボコられ、それに呼応して何十人単位で高校をドロップアウトしていったのである。今はあまり進学できない進学校に変わったらしいです。
それがアメリカになると、きっかけとしての人種があり、手段としてのバスケットがあり、ガンがあると。でもなー。ガンはきついよガンは。「あの時ぶん殴ってごめんね。てへっ。ちょっとした若気の至りさ」「気にすんな。ほんとは気にしてるけど」で済みそうか済まないかわからんけど、ガンはなー。「あのときガンで殺してごめんね。」では済まんからなー。それを言っちゃあなんでもそうか。

機動警察パトレイバー2 THE MOVIE ★★★★★

かつて正義のために戦地に赴き、空しく国家に裏切られた軍人、柘植。彼が起こした東京テロに対抗するためパトレイバー(つーか後藤)が行動する話。
何らかの敵に対し能動的に動いて最後はレイバー部隊でやっつけるという骨子は前作とほぼ変わらない。ただ本作は、前作では裏方で遊馬一辺倒な話にアクセントを付ける存在だった後藤(前作では名前も覚えておらず「部長みたいな人」と書いているぐらいサブな人)が前面に押し出され、よりハードボイルドな感じが強まっていてよろしい。
それはテーマが「身近に起きた戦争状態というリアリティ」なので、最早遊馬程度でどうこうできるレベルではなく、後藤とあの女のボスみたいなやつ(こっちは名前覚えきれなかった)が本気で考え・行動することになる、スケールの問題があったんだろう。パトレイバー自体に思い入れのない自分としては、前作のようないかにも「レイバー大活躍中」のようなストーリー展開より、警察・自衛隊という国家組織まで巻き込み、要所に計り知れない情報スパイを挟み込んで、なんというか一つ一つの場面展開にもよく表れているんだけど、戦争のリアリティを追求したのがかなり良かった。
現代の日本での、しかも首都圏における戦争状態を想像することは自分にはできない。じゃああの、新宿マイシティ前で毒ガスもどきが散布され、戦車に乗った軍人がたばこ屋のおばちゃんからタバコを買う、この映画におけるいかにもな風景、もっと言えばおしつけがましいリアリティ描写は一体なんなんだろう。
現実と現実感てのは違って、前者は客観であり、後者は個人それぞれが感じる主観的なものだ。リアリティはそりゃもう無限にリアクションしてしまうけれども、リアルってのは日常の半径いくらかにおける、かなりこじんまりとしたものである。
折しもアメリカーイラク戦争終結直後の今、例えば子供が死んで悲しいと嘆く人の映像があったとして、「あらかわいそう」「へえ」「ふーん」「あっそう」とか色んな感情を抱くであろうが、それは俺のリアリティにはならない。ただあるのはそういった一時の感情と、普通の日常である。与えられた平和、他の犠牲のもとでの平和であってもそれが多くの日本人のリアルであり、正直リアルで日本で戦争が起こるなんてちっとも思っていない。仮に戦争になっても多くの日本人がそれと気付かず座して死ぬんだろう。自分もその中の一人になりそうだ。
よってリアリティは必ずしもリアルの裏付けを必要とするわけではない。映画におけるリアリティは、ストーリー展開に対する人物の考え・行動に説得力があるかどうかだと思う。一発の爆弾による女ボスの呆気に取られた顔から、段々極度の戦争状態に陥り、それが麻痺して日常になってしまう感覚。秀逸なリアリティ描写のゴリ押しは、否応にも観る側をストーリーに入り込ませてくれる。それを最後に後藤の「東京で戦争はせますぎる」という言葉でリアリティからリアルに戻される感じ。よって柘植逮捕の所はあまり覚えていない。
最後に流れるクレジットでは、最初後藤で次女ボス、レイバー部隊、その他大勢、スパイ、最後柘植の順だと思っていたが、ノア(漢字わからん)や遊馬といったレイバー部隊の中に後藤や女ボスが紛れ込んでいたのは意外だった。あくまでパトレイバーという感じなのかもしれんが、組織に愛想が尽き、それに対してどう反応するかという時の後藤と柘植の差、後藤はそれでもなおレイバー部隊として行動し、柘植は未来を見たかったと語る。案外最後の最後、これを物語りたかったのかもしれない。

機動警察パトレイバー劇場版 ★★★★☆

人型ロボット・レイバーを独占的に市場に供給する篠原重工。その新型OS「HOS」を搭載したレイバーが暴走する事件が多発した。これを解明するパトレイバーの人達の話。
本作は漫画「機動警察パトレイバー」が原作になっているものの、原作及びアニメ版とは全く切り離して考えるべき作品なんだろう。クレジットも「原案」になってるし。自分自身パトレイバーの漫画は未読で、またアニメもかなり昔に1話見たことがあるなーぐらいの記憶がある程度で、「パトレイバー」初体験といっても差し支えなかろうがそれでもなんの違和感もなく、例えば登場人物のポジショニングがイマイチわからんとかは無く、すんなり見ることができたのはポイント高い。
監督は押井守。AVARONでも少し触れたがこの人は実写映画でさえアニメの方法を用いざるを得ないようなアニメ職人で、アニメを作らせると非常にうまい。素人目から見てもアニメは実写に比べてまずカメラ撮影ではなくセル画である点で見せ方の方法が違うんだろうし、またリアルワールドではあり得ない状況設定、場面設定も絵に描くだけで一発という違いがある。この辺は利点でも欠点でもなくたんなる実写とアニメの違いではあるが、そこの使い方を心得ている、要するに押井守はじめIGなどのアニメ職人集団が気合い入れて作ると、アニメとしておもしろくはなる。よく押井作品の演出がいいと言われるのもこのへんなんだろう。
でストーリーもかなり骨太な感じ。遊馬というキャラクターが犯人を追いつめる過程がテンポ良くまとまっていて、さらに別で行動している部長みたいな人と刑事二人のやりとりが深みを出している。自分はレイバー部隊に対してなんの思い入れもないので、あの台風で海の真ん中に行くぐらいまでがかなり入り込んで見ることができた。逆にこういうハードボイルドな感じをアニメでやられるとムカついてくるとかあるなら逆効果だな。
あとはもう、アニメを受け入れられるかどうかって話になりそう。世の中にはアニメというだけで全否定という方も結構いらっしゃるようで、このへんは個人の主観であるからダメなもんはダメでしょうがないが、アニメに特に抵抗がない諸氏は楽しめるんじゃないかなあと思う。
参考までに好きなアニメベスト3でも書いとくか。現時点で浮かんできたやつ&暫定ね。
1.ベルサイユのばら
2.未来少年コナン
3.ハイジ
仮に「特撮も有り」てなったら1位に怪傑ズバットが食い込んで以下順送りになる。こういう趣向でもまあまあ楽しんで見れます。

ブラックホークダウン ★★★★★

1993年10月3日、ソマリアの内戦に軍事介入した国連軍(=アメリカ軍)の四方山話。
タイトルのブラックホークダウンはその名の通り、ブラックホークがダウンしたというもの。ブラックホークはアメリカの軍用ヘリであり、10月3日の作戦中に2機のブラックホークがソマリアの武装勢力によって撃沈、墜落してしまった。
予定では一時間でカタの付く作戦がほぼ一日かかってしまい、予定では死者ゼロのところが十数名、この2週間後にアメリカ軍はソマリアから撤退したということを見れば、この作戦が大失敗だったということがわかる。そもそもこの映画通りの作戦だったとしたら、実行前段階でかなり無理あるが。
本作で描かれているのは、指揮命令系統の機能と、また戦場には自分を是非殺してやろうという敵がいるという事である。軍隊に限らず組織のあるところには全体としてうまく機能するように調整する指揮官が上の方にいて、その指示に従い実際現場で動く、早い話が下っ端がいる。スーパーマーケットにおける店長とレジ打ち、戦場における指揮官とソルジャー、どちらにもお客・敵という相手がいて、組織は基本的には相手のために動くのだけれども、決定的な違いは後者の場合相手が積極的にタマをを取りたがっているということだ。一方でそれは「殺らなきゃ殺られる」という麻痺状態の論理を、戦いの前提にしているということでもある。
そういう激しい戦場の中で生死をやり取りしているソルジャーとソマリア武装勢力、間に立つ通信ヘリ、そして映像と音声のみをすべての情報として指揮を執る指揮官の場面切り替えが妙で、本作では戦争映画にありがちな一兵士の心情描写よりも、現場と指揮官の温度差を明確に映像化している。それは本作が厳密に言えば戦争を描いたものではなく、ひとつの戦いの場面展開における組織の動きをメインテーマとしているからだ。
その分映画の中で個々の兵士は没個性的になり、実際オペレーションに参加している兵士は多い上に顔の判別がつかず(多くはスティーブンジェラードかピーターアーツに見える)、ましてやソマリア側は総体としてしか描かれていない。その結果の19:1000という単純に死者数で見た場合の圧倒的な差は、兵士よりも組織に視点を置いたこの映画では単に戦力の違いによるものと受け止められたのは意外だった。もちろん問題は、「なぜ1000人も無駄に殺したか」という点にあるのだけれども。
結果、この作戦だけでなくアメリカは全面撤退という敗北宣言でこの戦争は終結した。事実、軍事介入後のソマリアは内戦を継続しつつもプチ冷戦状態のような小康状態を保っているということだし、なによりこの映画では封殺されている(恐らくヘリから引きずり出して死体をワッショイワッショイみたいなシーンに差し替えられている)、アメリカ兵士の死体をソマリアの群衆が引きずり回し、それがメディアを通してアメリカに知らしめられるというショッキングな映像が、世論を撤退へと導いたというのが通説だ。
過去にはひとつ、メディアと世論によりアメリカが参戦し、敗北したベトナム戦争があるが、これについては10年以内に「プラトーン」「ディア・ハンター」「タクシードライバー」のような再認識映画が制作されているし、それでもなんやかんやでいろんな場面で戦争をやってしまう、これも世論によりやらざるを得なくなる国なわけで、本作にしたってソマリア介入10年後にこういう映画で再認識して、それもコミコミでアフガンでタリバンやっつけたり、イラクとは戦争する気満々なわけで。そういうのも全部ひっくるめて、アメリカはちんちんが大きい国だろうし、洋ピンの黒人男優はロッテの5番打てそうだし、もう、わんぱくな国でございますね。
なお、後日この映画と対をなすドキュメンタリー「ブラックホークダウンの真実」を見ることで追記の予定あり。こちらは史実を忠実に描いているらしいので期待大。
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「ブラックホークダウンの真実」はアメリカ軍が国連の治安維持・食料配布のためにソマリアに駐留した顛末から、やがてアイディード将軍を捕まえること自体が目的となり、それがソマリア人からすると憎たらしいことであるという背景、そして実際にオペレーションに参加したデルタフォース隊員のインタビューを交え、時系列順に構成されているドキュメンタリーだった。
デルタ隊員もつい本音が出ているが、やっぱ作戦の立案段階でかなり終わってるこれ。だって「昼間」「武器マーケットがある市街中心部」「4台のヘリで突入」「突入後ヘリは空中を旋回」というおおまかな作戦があって、相手はAK47(安価な鉄砲)・RPG(安価なロケット砲)を豊富に所有、麻薬やりまくりで死ぬことより相手倒す方が優先、いやむしろ死んでもいいというか、死ぬというのが前提にない感じであるから、そりゃ多少は犠牲が出るのも当然だと思った。
ただこのようなソマリア側の動向・背景がわかったのも作者であるマーク・ボーデンがソマリアに直撃取材、ソマリアの民兵や市民のインタビューも取り入れ、解明していった事が大きい。CBSドキュメントなんか見ててもそう思うが、やはりドキュメンタリーの善し悪しはインタビューの善し悪し、さらにはインタビュアーの善し悪しが大きく作用するだろう。
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2003年3月末に、ブラックホークダウンのゲームが発売された。PCゲームでジャンルはFPS、映画を元にしているようだからシングルモードでは突入からアイディード捕獲まで、マルチモードはネット対戦になっている模様。デモ版でもシングル・マルチ両方ともプレイ可能。RPG!RPG!もちゃんと再現されている。
デルタフォース ブラックホークダウン
http://www.micromouse.co.jp/nova/df-bhd.htm